ふらつく体を支えていた手のひらが、首に添えられている。ゆっくりと親指に力が込められていく。喉が圧迫されて、呼吸がしにくくなる。飲み込めない唾が口の端から垂れていく。苦しい、と、きもちいい、が。混ざって、溶けて、そうしてのぼり詰める。   ◇  疲れてぐでぐでになった体をむりやり起こす。意識を飛ばしていたらしい。落ちてくる髪をかきあげて時計を探す。午前二時。いやな時間だ。  布団から這い出ようとしたが、強い力で引き戻された。腹部に回る誰か――哉真斗の腕のせいだった。タトゥーでいっぱいの、筋肉質な男の腕。ふわりと香る自分のものではない香水に包まれて、眉間に力が入る。誰の贈り物か知らないけれど、全然、哉真斗にあってない。 「なに」 「いーや、なんも」  腕は回されたまま。これではろくに動けやしない。時折、背筋を這い上がる甘いしびれには気づかないふりをする。この男にとっては、こんなの作業のようなものだ。だって、こいつの目に私は映っていない。私を見ることはない。 「焚石矢はいいの?」  気が狂うほど何度も聞かされる男の名を出す。わかってる、あてつけだ。 「あいつにも必要だろ、ひとりの時間ってヤツ」 「ふーん」 「なになに。興味湧いた?」 「べつに」  誰といても、何をしていても。この男は焚石矢の側にいる。実際に側にいるだけではなく、それ以上に気持ちがずっと側にある。離れない。その必要がない。  惚れた弱みだなんだと言っていたが、そんなもの――私も同じだった。こんな生産性の欠片もない行為でしか哉真斗を繋ぎ止めることができなくて、つっけんどんな態度をとることでしかこっちに目を向けさせることができなくて。それもすぐに背けられてしまう。  こいつが振り向いてくれるかもしれないことは片っ端からやってみた。それもすべて、焚石矢の前では霞んだ。最終的に、焚石矢には持ち得ない「女の体」を使った。他に女がいるらしいことは知っている。数多のうちのひとりかもしれないことも承知の上。付き合いの長さだけなら焚石矢に負けないから、他の女たちは気にならない。  あんた(焚石矢)はできないでしょう、私ならしてあげられる。彼の本能的な欲望を受け止めてあげられる。たとえ、ほんのひとときだとしても。 「今度会わせてやるよ」  腹部にあった手のひらは、胸部へ。皮ふを撫であげていく指先はわざとらしい動きをみせる。夜はまだ終わらない。 「誰に」 「焚石に」 「いらない」 「そー言わずに。惚れんなよ」  誰が、と口から出る前に、後ろから押さえ込まれる。胸板を背中に感じながら、薄っぺらい優越感に浸る。  あんた(焚石矢)は知らないでしょう、こいつの体温がちょっと高いこと。知らないでしょう、こいつが首を絞めるとき、めちゃくちゃイイ顔をすること。 「オレの、だから」  そういうところが焚石矢に嫌がられてるんじゃないの。神のように崇拝しながら抱くのは底なしの独占欲。この男は信者なんてかわいらしいものではない。悪魔だ。神のためなら誰が何をしても何がどうなっても構わないという、信者の皮をかぶった破滅を呼ぶ悪魔。――そんなやつの、唯一になりたいなんて。そのためにこんなところまで来て、こんなことして、それでも唯一になれなくて。口を開けば焚石矢のことばかりで。私の名前すら、知っているのかあやしいくらいだ。溢れる涙も拭ってくれないこんな男に、私は。――うなじに、痛みが走る。皮ふを突き破るほどの痛み。 「くふ、良い色」  あいつの髪と一緒だ。  頭にカッと血が上る。私が嫌いなやつと一緒のものがあるのになんで。こいつの目から隠そうにも、腕を押さえつけられてできない。悔しい、悔しい! 哉真斗の気持ちすべてを持っていく焚石矢が嫌い!  噛み締めた唇の端が、うなじが、全身が。燃えるように熱い。  このまま朝なんて来なければいいのに。 2024.10