ふと目が覚めるとカーテンの外がやけに白く見えた。今日はたしか一限から、まるでもう昼が近いかのような明るさだ。と、そこまで考えてからハッと起き上がりスマホの画面を点ける。九時三十分。普通に遅刻だった。
「うそ、アラームつけたのになんで?スヌーズ仕事しろし!て、アッ……切ってる……」
間違えてスライドさせたのか、アラームそのものを切ってしまっていた。さすがにこれでは起きられない。まあまだ落とされるほどは休んでいないのでセーフだろう、あとで誰かにレジュメのコピーをとらせてもらわないと。
次は三限、その前にいつものメンバーで学食。あとどれだけ寝られるか逆算してアラームをかけ直し、スマホを握りしめながら再びふとんに倒れ込んだ。
広い食堂の少し奥まったところ、テーブルをいくつかくっつけて彼らは座っていた。今は嵐山と柿崎、そして生駒がいる。そのうち弓場も来るだろう。
トレーを持ちながら挨拶をすると、柿崎が場所をあけてくれた。何も知らないはずなのにあけてくれたのは偶然にも生駒の隣の席だ。食事中の生駒がちらりとこちらを見上げる。笑みを返して、お邪魔しますーなんて言いながら着席した。
生駒達人と付き合いだしたのは二週間ほど前のことだ。それまでもボーダー隊員として仲良くしていたし、今後もそれは変わらないと思っていた。だって私たちボーダーには使命があるから。皆、何かしらの思いがあってその身を預けている。もちろん学業が片手間であってはいけないし、トリオン器官は年齢を重ねるごとに衰えていくものだからずっと隊員ではいられない。今後のことも考えないとな、なんて思うことが少なくなかった。そんなとき、生駒がぽつりと呟いた言葉に私はすくわれたような気がして、気がつけば好きになっていた。きっかけなんてそんな程度のものだ。そして私の方から告白して付き合うこととなった。しかし生駒が「皆にはちゃんと言いたいからそれまで付き合うてることは秘密にしよ」なんて言うものだから、未だに私たちのことを知っているものはいない。それもあって私たちの間でしか通じない話や匂わせのような発言は控えようと示し合わせたというのに。生駒達人がうっかりさんなことを失念していた。
「今日寝坊しちゃってさ〜、三限からでいっかって二度寝キメた」
今朝のことを報告すると、柿崎が爽やかに笑い飛ばしてくれた。そして「あの講義、レジュメないときついだろ?貸してやるよ」と言ってくれたので有り難く借りることにした。お礼ではないが感謝の印として、デザートに食べようと思っていたスイーツを柿崎のトレーにそっと置く。
するとそれまで無言だった生駒が口を開いた。
「そらあんなちっさいアラームやったら聞こえんて」
少しびっくりしながらも、いつもは起きれるのになー、となるべく自然に返す。使ってるアラームの音なんてたぶん普通は知らない。誰にも動揺がばれていませんように。
「明日からもうちょい音量上げとき」
「はあ〜い」
ちらっと前の二人を見る。とくに気にした様子もなく、別の話題に移っていた。て、なんで私がこんなこといちいち気にしなければならないのか。生駒のばーか!という気持ちを込めて彼の太ももをつねっておいた。え?俺なんかした?って顔でこちらを見る彼氏は自分の発言省みてください、どうぞ。
なのに生駒のうっかりさんはまだ続いた。
私が食べ終わる頃にようやく弓場がやって来たのだが、今日はまた一段と重いため息をつきながら荒々しく腰掛けた。なんだなんだと皆で問いかける。弓場はハーフリムの眼鏡をくいと押し上げると。
「……寝過ごしッちまった」
無言一拍、そして爆笑の渦が巻き起こる。雰囲気の重さと発言の軽さが合ってない、ど真面目な弓場が寝過ごしたという事実、私に続き本日二度目の寝坊報告。なんか知らんがとにかくウケて、腹が捩れるほど笑ってしまった。弓場はというと額に手を当て深刻な顔をしたままだった。
「弓場ちゃん最高〜!私も寝坊したからお揃いお揃い」
「今日はもうだめだァ」
「落ち込みすぎだ、っとすまん、これから広報関係の招集があるんだ。先に行く」
お疲れがんばれーと嵐山の背に手を振った。
弓場に向き直り「何の講義だっけ?もしかしたら貸せるかも」と聞くと、私も別の時間帯でとっている般教の名前が返ってきた。それなら一昨日受けたし今週のことだから内容は変わらないだろう。
「恩に着る」
「大げさ〜」
今期般教のレジュメを挟んだファイルを取り出しぱらぱら捲っていく。が、目的のものが見当たらない。どこやったっけ、と思いながら探していると、横からにゅっと覗き込んできた生駒が「あっ」と声を上げた。
「それ、一昨日俺んとこに忘れてったやろ」
はよ渡さな思て持ち歩いててん、とリュックからずるりと探していたレジュメが出てくる。ほい、と手渡そうとした生駒がはっと固まった。
一昨日、私が生駒の家に泊まった日。この日は珍しく時間のあった嵐山からのお誘いで、迅も誘って晩ごはんを皆で食べた。送っていくからと、ののと弓場、蓮と迅と嵐山が帰り、柿崎も帰り、そうして二十二時頃、その場に残っていたのは生駒と私だった。
「送るわ」
「んー」
「どしたん、煮え切らん返事」
「皆帰っちゃってさみしくて。もうちょっと、誰かと一緒にいたい気分だなって」
突然顔を覆った生駒が小さな小さな声で「ほんなら、うち来る?」と言ったのを食い気味に行く!と答えたのだった。
何度お邪魔しても好きな人の匂いが充満する部屋というのはやはり落ち着かない。付き合っているとはいえ今までは遅くなる前に帰っていたため、泊まるのは初めてで。途中のコンビニでお泊まりセットを買いながら暴れだしそうな心臓をなんとか抑えていた。
彼の実家で飲んでいたという番茶は香ばしくて独特の風味がある。出されたそれをちみちみ飲みながら部屋の主を盗み見た。至って普通、とくにおかしな様子はない。私はこんなに緊張しているのに、なんだか不公平だ。むすっとしながらも今日出された課題を片付けようとローテーブルの上にレジュメの束を取り出した。一人暮らしのテーブルなんて二人が作業できるほど広くはなく、必然的に生駒は別のことをしなければならない。彼はおもむろにクローゼットを開けると、何かを取り出した。
「それなに?」
「木刀やけど」
横で素振りしてるけど気にせんとってな、と言うと彼は正座で素振りを始めた。まじかよ。その横顔をじっと眺める。一日も終わりかけ、きっちりとしていたはずの前髪が少し乱れていた。静かな部屋に彼の呼吸だけが響く。引き締まった目元が、口元が、彼を構成する全てが。どうしようもなく好きだ。空気を軽く斬る音が一定の間隔で続いている。課題のことなんてすっかり頭から吹き飛んで、彼をうっとり見つめていた。
と、突然機械音声がお風呂がわいたことをお知らせし、私ははっと我に返る。素振りをやめ、私の顔と一ミリも進んでいない課題を交互に見た生駒は「とりあえず風呂入り」と言ってきたので、お言葉に甘えて先にお風呂をいただいたのだった。
あたたかい湯に浸かって緊張がほぐれたのか、お風呂から上がると眠気が襲ってきた。生駒に眠い〜としなだれかかると、彼は「ベッド使い。俺敷き布団使うし」と自身のベッドに私を転がした。眠さが限界を突破、しかしわずかに残っていた理性が明日のアラームをかけろと叫んだので、生駒にかばんを取ってもらいベッドの上で中身をひっくり返しながらスマホを探し出し、アラームをかけた瞬間、寝落ちをキメた。
翌朝、アラームのおかげで爽やかに起床。ベッドの下では生駒が寝ていた。普段きりっとした眉はなだらかな曲線を描いていて、寝顔はなんだか幼く感じる。先に洗面台を使わせてもらい支度を済ませると、生駒の眉間をつんつんと突いた。
曲線を描いていた眉がきゅっと上がり、彼は眩しそうに薄く目を開ける。ぽんぽんと私の頭を撫でると「おはよぉ、よう寝れたか?」とたずねた。
「うん。ベッドありがと、シーツ洗う?」
「ええよ、置いといて。てか目覚まし聞こえへんかったわ、ほんまに鳴ってた?」
「鳴ってた鳴ってた。ほら」
生駒の耳元でアラーム音を鳴らしてみると「音ちっさ!」とツッコまれた。珍しい彼の様子に思わず笑みがこぼれる。
よっこいしょと起き上がった彼は朝どうしよーなんて言いながら布団をたたみ、洗面所に消えていった。シャツの上からでもわかる彼の筋肉質な体に朝からどきどきしてしまったのは許されたい。
冷蔵庫いじっていいなら何か作ろっかな、なんて思っていると所属している隊から招集の連絡が入った。そういえば今日は防衛任務があるんだった。あわてて散らかしていた荷物や紙の束をかき集め、シェービングフォームで顎周りを白く染めたままの生駒に「お邪魔しました!行ってきます!」と声をかけてドアを開けた。後ろから気の抜けた「行ってらっしゃーい」が聞こえてきて、なんかこういうのいいな、なんて思った。
その後全く確認していなかっため気づかなかったのだが、広げていた課題、その一部のレジュメを生駒の家に忘れていたらしい。固まってしまった生駒の代わりに、柿崎と弓場にちらと視線を移すと。各々考えるような仕草をしていた。しばしの沈黙。そして。
「おめェーらよォ」
口火を切ったのは弓場だった。
「どっちだァ?」
眼鏡の奥、鋭い眼光がこちらを貫く。まるで蛇に睨まれた蛙だった。いや何も悪いことはしてないし、弓場が怒っているわけでも捕食しようとしているわけでもないのはわかっている。これはたぶん、ちょっと拗ねている。
「実はちょっと前から付き合ってて」
ははは、と笑いながら生駒の腕を引っ張り、組んでみせる。皆にちゃんと言いたいからとタイミングを見計らっていた生駒は片手で顔を覆い「やってもうた……」と己の発言を悔やんでいた。
柿崎が「そうか!」と笑みを浮かべたところで、突然弓場が立ち上がりどこかに電話をかけた。二言三言話すとすぐに切る。そしてこちらに向き直ると眼鏡を押し上げ「今夜は奢ってやる、メシ行くぞォ」と言った。
「待って、なんでなんで?」
「なんだァ、知らねェのか。生駒ァ、ずっとおめェーに気があったんだよ」
だから祝いだァ、と口元を緩める弓場。うんうんと頷く柿崎。生駒を見上げると表情は変わらないのに真っ赤に染まっていた。なんてこった。これはさすがに想定外だ。照れ隠しで生駒をどついてしまったが、彼はぐらりともしなかった。
2021.06