※小南の過去とか捏造過多  貴女は私の知らないひとになっていく。    ◇    近界民に襲われそうになったところを助けてくれた小さな姿は、私とたいして変わらない背格好のように見えた。震えて縮こまっているばかりの私とは違い、彼女は背丈より遥かに大きな脅威に立ち向かう。羽根のように軽やかに、けれど繰り出される一撃は重く鋭い。悉くを倒した彼女は、武器に付いた何かを振り払うような仕草をした。少しだけ近づいて「助けていただいてありがとうございます」と言うと、彼女はこちらを振り返りもせずに「そんなのはいいから、早くここから逃げなさい」と言った。怖くて泣いていたはずの私の涙はもうすっかり止まっていて。代わりに別の感情が現れた。――もっと、彼女を見ていたい。いま、ここから離れたらもう彼女に会えなくなるかもしれない。咄嗟に自分の名前を叫んで「貴女の名前は?」と聞いた。彼女は胡乱げにこちらを見る。覆い隠すように縁取られたまつ毛の隙間、緑の瞳に息を呑んだ。少しの間、無言で見つめ合って、それから。「……小南、桐絵」こなみきりえ、美しいかんばせによく似合う名前だと思った。  このとき彼女に救われたひとつのいのちは、彼女の強い輝きに惹かれた。大規模侵攻以前、この脅威が近界民なんて呼び方もまだ浸透していなかった頃のことだ。  そして大規模侵攻ののち、ボーダーという組織が設立された。彼女がそこに所属していることを知り、彼女を追いかけてボーダーに入隊した。彼女のようになりたいと初めて剣を手に取った。近界民、ゲート、トリオン、トリガー、弧月。これまで知らなかったことが、次々と当たり前になっていく。私たちが脅威に立ち向かうために必要なもの。自身を守るため、誰かを守るため、自分たちの生きる世界を守るために。トリオンで構成されている武器は、存外、確かな重みを持って存在する。とりわけ弧月の重さには驚いた。こんなものを軽々と扱っていたのか、彼女は。    入隊してしばらくした頃、小南桐絵と再会した。換装前の姿だったらしい彼女は、あの日より髪が伸びていた。 「あんた、あの時の……」 「小南、さん」 「そう、入ったのね。強くなりなさいよ」  あたし、弱いやつは嫌いなの。美しい緑の瞳が瞬く。あの日と変わらない強さを感じて、気がつけば吸い寄せられるように近づき「連絡先、交換してほしい」と、二度目ましてで大胆にも無謀なお願いを口にしてしまった。訝しげな彼女の視線が突き刺さる。 「は? 嫌よ。あんたの名前は知ってるけどそれだけだもの、あんたのことは何も知らないわ。知らない人には教えない」 「あの、私、貴女に助けてもらって貴女みたいになりたいってボーダーに入ったから、やっと会えて嬉しくて、それで、」  知らないなら知ってもらえばいい。まとまらない言葉を紡いで精一杯自分のことを彼女に伝えようと頑張る。次第に話は自分のことそっちのけで、彼女についてにシフトしていった。ふと彼女の様子をうかがうと、しろくてまるい頬が色づいていた。――あ、かわいい。  そうして私は、彼女が根負けする形で連絡先を手に入れたのだった。    ◇    高校二年。夏休みに入ったある日。  玉狛支部の屋上で花火を見ようと誘ってくれたのは桐絵だった。彼女が言うにはここは支部の人しか知らない穴場スポットらしい。本部のやつらには秘密ね、と私だけに教えてくれた。  そんな彼女とは、出会ってからもう五年ほどになる。  花火が始まるまではお茶会をしようと栞が提案してくれた。栞は学校が同じでよくお喋りをする仲だけど、話すのは桐絵のことばかりだった。そのたびに彼女は「こなみのこと、大好きなんだね」って微笑んでくれるから、私は大きく頷くのだ。  玉狛支部にお邪魔したことは何度もあるが、桐絵の淹れてくれる紅茶はいつもおいしくて、用意してくれるお菓子もいつもおいしい。ここへ訪れるときの楽しみの一つになっている。  栞と談笑している桐絵を眺めていると、ふと思ったことが口をついて出た。 「よく笑うようになったね」  二人そろってこちらに顔を向ける。栞は私が桐絵のほうを見て言ったことに気づくと、静かに紅茶のカップに口をつけた。桐絵は大きな目を瞬かせながら首を傾げた。 「そう? そういうあんたはあんまり笑わなくなったわ」 「あれーおかしいな。笑ってるよ、ほら」  にこりと笑って見せるが「ふうん、本当かしら」と納得していない様子の彼女は、私の頬に手を伸ばしてむにむにといじる。「あたし、あんたの笑顔はまあまあ気に入ってるの」と彼女が言う。 「だから、ちゃんと笑いなさいよ。あたしの前で愛想笑いなんてしたらぶっ飛ばしてやるんだから」  私の頬をいじる彼女は柔らかな表情を浮かべている。爪は綺麗に切りそろえられていて、肌を傷つけることはない。むにむに。彼女の指は、優しくて柔らかい。    双剣を巧みに操り、軽やかに戦う小南桐絵はかっこよくて美しかった。彼女に近づくにはどうしたらいいのだろうと考えた結果、私には「強くなる」ことしか思いつかなかった。彼女にも言われたことだ。強くなりなさいよ、と。だから少しでも彼女に追いつけるように、彼女みたいになれるように頑張った。模擬戦もいろんな人とした。勝って負けて引き分けてを何度も繰り返して繰り返して、そうしてとうとう限界が来た。壁というやつだ。私はここから先には進めないのだと悟った。  その頃には、彼女は攻撃手ランクの一位に上り詰めていた。彼女の模擬戦を何度もモニター前で眺めていたことを覚えている。眺めることしかできなかったことを覚えている。あまり笑うことのない彼女の楽しそうな表情を引き出している人たちに、ザワザワとした気持ちが募っていった。私は彼女の前にも後ろにも、横にも立てないというのに。  そうこうしているうちに玉狛支部が独立した。彼女は玉狛支部所属となり、本部にはほとんど顔を出すことがなくなった。トリガーも弧月から双月という一対の斧、ときに一本の大斧となる玉狛独自のものに変わった。斧を振り回して戦う彼女を、私は知らない。  学校も所属も違えば必然的に顔を合わせる回数は減っていく。彼女とは連絡先を交換していたものの、それまであまり使うことはなく、アドレス帳にある彼女の名前を見つめるばかりだった。所属が変わってからはそれなりに連絡を取るようになったし、遊びに行くようにもなった。そうして会うたび表情が豊かになっていく彼女を、喜ばしいことだと思う一方で、少し残念に思う気持ちもあった。一本の剣のような彼女が好きだったのだ。変わらなくていいと思っていた。変わってほしくなかった。    そろそろ花火が打ち上がる時間だからと、玉狛支部の人たちに混じって屋上へ向かった。じっとりとぬるい空気が肌にまとわりつく。烏丸くんにからかわれてムキーッと感情を露わにする桐絵を眺める。木崎さんに宥められている彼女を眺める。迅さん、栞、林藤支部長、陽太郎くん。この人たちがいるから桐絵は人間らしくなった。この人たちのせいで彼女は人間になってしまった。  桐絵の後ろを静かについていく。私に気づいた彼女が「そんなとこにいないで、隣に来なさいよ」と腕を引っ張った。 「一緒に花火見るんだから」 「……うん」  私を、見てくれている。それだけのことなのにとても嬉しくて頬が緩んでくるのがわかる。彼女がいるだけでじっとりした空気も気にならなくなる。不思議だ。 「なによ、嬉しそうな顔しちゃって」 「なんでもない」  突如、空が光る。次いで空気の弾ける音がした。次から次へと彩られる空を見上げて歓声を上げる。ここは本当に花火が綺麗に見える。桐絵が教えたくないと思うのも今ならよくわかった。  隣の桐絵に視線を移す。彼女の大きな目が色とりどりに光っていく。まるで今夜の空を埋め込んだかのように美しい。花火よりも彼女を見つめていると、だらりと垂らしていた手にふいに柔らかな指が絡まる。優しい力できゅうと握られて。 「綺麗ね」  あわてて花火のほうを見る。ぽつりと呟かれたそれに、同意するようにこくこくと頷いた。 「あたし、あんたと見られて良かった」 「……私も」  花火みたいに、私の心も弾けて光って、どこかに吸い込まれて消えてしまえば美しいままなのに。そんなことできないから、苦しい。そんなことできないから、気持ちばかりが募っていく。そんなことできないから、彼女に繋がれたこの手を握り返すことができないでいる。  肩に寄りかかる重みを感じながら、彼女に擦り寄る。――本当は、わかっているのだ。変わらないものなどないのだと。私だけがいつまでもあの日に囚われているのだと。憧れた桐絵のままでいてほしいなんて、彼女はこれからも私の知らない人と出会い、別れ、様々に影響し合って新しい小南桐絵になっていくというのに。それだけは天地がひっくり返っても変えられないことなのに。    花火は三十分もしないうちに終わった。打ち上げるまでは膨大な手間と時間がかかるのに、始まってしまえばあっという間で。込められた思いも願い祈りもすべて、この空に爆ぜてあとかたもなく吸い込まれた。肩の重みは消えている。繋がれていた手も離れた。夢のような時間は終わりを告げる。  屋内に戻っていく彼らの後ろで、桐絵を引き止めた。こちらを振り返った迅さんがふいと視線を外したのが見えた。 「どうしたの?」 「あのね、」  言葉が詰まる。思わず引き止めてしまっただけにこの先のことを考えていなかった。なんて言えばいいだろうか。続きを待ってくれている桐絵が首を傾げる。動きにあわせて彼女の長い髪がさらりと揺れた。  さようなら、あの日の小南桐絵。私を救ってくれた貴女。一本の剣のような貴女。私は貴女を、貴女に抱いた全ての思いを忘れない。 「……だいすき」 「知ってるけど?」 「違うよ、違うの」 「何が違うっていうのよ」  不満げな様子を見せる彼女に近づいて、柔らかな頬に唇を押し付ける。至近距離で目を丸くする彼女に微笑みかけた。じわじわと彼女の頬に赤みが差していく様は、はっきりとは見えないけれど。 「なッ、なななに、いまなにしたの?!」 「ちゅーした、ほっぺに」 「なんで?! なんでしたの?!」 「大好きだから」  誰もいない屋上で二人きり。夜空に浮かぶ星と月、眼下にはたえず流れていく川。世界は少しずつ移り変わっていく。同じ瞬間はどこにも存在しない。まるで誂えたように静かに流転するこの世界で見つめ合ったことを、彼女はきっと忘れない。私も忘れない。    私の知らない未来の小南桐絵へ。たえず変わっていく貴女はきっと過去より現在、現在より未来のほうが美しい。貴女が貴女であるかぎり、私はずっと貴女のことを。 2021.07 『夏の君が眩し過ぎて』様提出