本部の廊下を走る。走る。すれ違った誰かに「危ない」と言われて適当に返事をして、また走る。今はそれどころではなかった。  先ほどC級のランク戦用ロビーにて。  数あるモニター、数ある戦いのうちの一つに、鮮烈な存在感を放つ人がいた。  本部ではおよそ見たことのない動きと初見でもわかる圧倒的な強さ、時折モニター越しに合う視線、長いまつ毛に縁どられた緑の瞳。頭のてっぺんから足の爪先まで、もしかしたら揺れる髪のひとふさまで洗練されているのではないかと思わせるほど。斬撃で抉られた地面も、舞い上がる粉塵も、仮想ステージそのものが彼女を引き立たせるかの如く。ただ強いのではなく、ただ美しいのでもない。立っているだけで引き込まれる。勝ち気な笑みに目が離せない。その場から動けない。魅せられている、名も知らぬ彼女に。――こんな人、いたっけ。食い入るようにモニターを見つめていると「お、小南じゃねーか。珍しいな」と聞こえてきた。 「お知り合いですか?」  振り返って思わず声をかけてしまったが、私はこの男――太刀川慶と面識はない。有名な人だから一方的に知っているだけだ。彼も彼で「こいつ誰だ?」という顔をするが親切にも「玉狛支部の小南桐絵」と教えてくれた。 「玉狛支部の……」 「そうそう。最近全然見かけなかったんだよなーて、おーい」  聞いてる? という彼の声にうわ言のようなお礼を返す。視界は既に彼をフェードアウトさせ、彼女を探していた。  いつの間にかブースから退出して行ってしまったのか、彼女の姿はモニターにもロビーにもなく。気がつけば走り出していた。走りながら教えてもらった名を舌に乗せる。こなみきりえ、こなみきりえ、小南桐絵。  どんな人だろう。  どんな声をしているのだろう。  どんな話し方をするのだろう。  とにかく一目会ってみたかった。そのあとのことなんて考えていない。走って走って、走り抜けて。  結局、この日は彼女に会えなかった。 ◇  あ、と思った。  雑踏のなかですれ違った人物を振り返る。隊服ではないし、髪の長さも違う。けれど、間違いない。多くの人がいるからこそ、見えるものがある。わかることがある。確信があった。この人は、小南桐絵だ。 「こ、こここ、小南さん!」  名前を呼ぶだけなのに緊張して思いっきりどもってしまった。彼女はびっくりしたようにこちらを振り返り、「……誰?」と警戒を滲ませた声を出す。 「あ、えっと、」  会ってみたかったのは本当。だけどそのあとのことは何も考えていなくて。とりあえず名前と所属を伝えて、あやしいものではないですよとアピールをした。  ふうん、と息を吐くように呟いた彼女は「こっち」と道の端を指差す。踵を返したその背を見失わないようあわてて追いかけた。 「あんたが誰なのかはわかった。で?」  雑踏から少し離れ、あたしに何の用? と問う彼女の目は胡乱げだった。それもそうだ、私たちにボーダー以外の接点はない。 「あの、このあいだあなたがソロやってるのをたまたま見かけて、」  このあいだ? と彼女は首を傾げる。少しして思い出したのか「あー!」と声を上げた。 「あの日ね。そういえば久しぶりに戦ったんだっけ。あんた、あれ見てたの?」 「うん、はい」  小南桐絵は年上なのか、同い年なのか、はたまた年下なのか。学生なのか、そうでないのか。パーソナルなことは何もわからないけれど、そんなこと、今はどうでもいいことだった。 「とても強くて、とても美しかった」  ただ、それを伝えたくて。  彼女は一転、得意げな表情になって、うんうんと頷く。 「なによ、見る目あるじゃない」 「あなたに惹かれました」  彼女が「ん?」という顔でこちらを見る。  鮮烈な存在感を放っていた一本の剣のような小南桐絵が、こんなにころころと表情を変える女の子だなんて。こんな近くで。こんな、こんなに、魅力的だなんて。  ああ、どうしよう。勝手に言葉がするりと出てくる。 「あなたをずっと見ていたい」  止まらない。溢れ出す。あの日うまれて行き場のなかった思いが。走り出した思いが。刻み込まれて消せない思いが。 「え」  うろたえる彼女もかわいらしい。もっと見せて。もっと。 「ダメですか?」 「ダメなことはないけど、それって、つまり……どういうこと?」 「わからない」 「わからないの⁉」 「わからないから、知りたい」  あなたのことを見ていたい。もっと知りたい。溢れ出したものが混ざって溶けて、ひとつになっていく。  この感情に名前があるのだとすれば。きっとそれは、あなたのように美しいのだろうと思う。 2022.04 『揺れる花は境界線の上で』様提出