七月十八日。  それを聞いたのはボーダー基地本部内、空閑遊真が帰ってしまったあとだった。 「今日誕生日なの?!」 「らしいよー。玉狛で誕生日会やるんだってさ」  さっさと帰ってっちゃった、と駿くんは頭の後ろで腕を組みながら言う。なんてことだ。 「お、お祝いしたかった……」 「明日にでも祝えばいいじゃん」 「もちろんするけど、でもやっぱり当日じゃないとだめなことってあるし、誕生日はとくにさ、」  それに、出会ってから初めての彼の誕生日だ。  強くて発想が柔軟で可愛くてかっこいい空閑遊真のファンを自称して数ヶ月。主なファン活動は彼の活躍を見守ることだ。ランク戦の記録は穴が開くほどみてるし、模擬戦してるときはやることほっぽってモニターに釘付け。彼の新技がキマるたびに心の中の私が高らかに歓声を上げる。それからたまに情報収集をした。いろんな人から聞く空閑遊真の話は私の中の彼の解像度を上げていく。  今回、誕生日を知らなかったのは完全に私のミスだった。 「ファンなのに、気づいて然るべきなのに」 「遊真先輩はあんまり気にしないと思うけど」 「私が気にする」 「そっちかー」  先日梅雨が明けた。日没近くになっても暑さが衰えない季節の始まりだ。  じんわりと汗を滲ませながら駿くんと数ある直通通路のひとつからボーダーを出る。駿くんとはだいたい空閑遊真の話をしていることが多い。といっても、私がめちゃくちゃ聞きたがるから仕方なく話してくれている、が近いのだけど。  中学生の駿くんをお家まで送り届ける道すがら、ふと目に入ったのは。 「きれい……」 「なになに?」 「駿くん見て。あの写真」  花屋の店頭に置かれている鉢とそこから伸びる大ぶりの葉。横に添えられた写真に映るのは黒い背景から浮かび上がるように白くて美しい、けれどどこか儚い雰囲気の花。引き寄せられるように近づき、花の名を読み上げる。 「げっかびじん」 「ふうん、一夜しか咲かないんだって。お姉さん知ってた?」  説明文を読んだ駿くんが私を見た。  夜に咲き始めて朝には萎む。一夜限りの開花。その際に芳香を放つ。ここにいるのだとその存在を主張するように強く芳しく。  知らなかった。こんな綺麗な花を知らなかった。まるで――。 「遊真先輩みたいだね」  にやにやした駿くんが顔を覗き込んでくる。 「お姉さん、さっきから顔赤いよ。どうしたの?」 「……これ、玉狛に贈る」 「届けに行く?オレ付き合うよ」 「駿くん連れ回したら私がお巡りさんに捕まるからダメ。宅配頼むよ」 「今日届かないけどいいの?」 「うん、いいの」  明日から、というか今この瞬間から。私は空閑遊真のファンを自称できなくなった。だってこれは推しているというより、もう完全に彼に落ちている感じだ。彼のことを考えて顔が熱くなったり、贈りたい物を見つけて満ち足りた気持ちになったり。でもこれはあまり表に出さないほうがいい。彼と私は知り合いより先には進まない。  メッセージカードと送り状を書きながらふと冷静になる。そして猛烈に恥ずかしくなってきた。お花贈られるの、このくらいの年の子ってどう思うんだろう。 「駿くんはお花贈られたらどうする?」 「オレ?枯れるまでは世話するかな、贈ってくれたひとのこと考えたりしながら」 「お花って重くない?お菓子とかのほうがいいかな?駿くんどう思う?」 「オレは遊真先輩じゃないし、先輩は気にしないってば。お姉さんの意気地なし」  送り主の欄で手が止まる。なんて書こう。少し悩んでから再び動かす。手元を覗き込んできた駿くんが「あれ、ファンじゃなくなってる」なんて言いながら笑っていた。 ◇  七月十九日。  玉狛支部に一件の荷物が届いた。取扱注意と書かれたそれは縦に長く梱包されている。 「遊真くん宛てだね」 「誰から?」 「えっと、愛を込めて、とだけ。空閑、心当たりあるか?」 「うーむ、ないな」  玉狛第二、三雲隊の三人が頭をひねる。空閑遊真の知り合いからだろうか、それともまだ見ぬ彼の父親の関係者からだろうか。  横を通りがかった迅が「お、」と声を上げた。 「なーんだ、こっちか」 「迅さんの荷物?」 「いいや。おまえへの贈り物だよ、遊真」  開けてみなと言われて頷いた空閑は、梱包を解いていく。現れたのは大きめの鉢に植えられた植物だった。大ぶりの細長い葉ばかりのなかに、下を向いた蕾らしきものが二つほどある。空閑は一緒に梱包されていた説明書と小さなカードを手に取り、目を通そうとしたが。 「……読めん」  口を尖らせて拗ねたような表情になる。 「貸してみろ」  三雲が代わりに読み上げた。 「月下美人。開花は夜、一夜限り。世話をすれば一年に二、三回は咲くらしい。咲かないこともあるって書いてあるけど、蕾があるからこれは咲くだろうな」 「夜に咲く、か」 「一夜限りってことは見逃しちゃったらもう見れないのかな」 「空閑だったら見逃さないんじゃないのか」 「そうだな」  三雲は次いで小さなカードに視線を移した。わずかに目を見開くと、次第に頬を色づかせる。様子のおかしい隊長に空閑が「どうした?」と声をかけるが、明確な返事はない。後ろから三雲の手元を覗き込んだ迅が「あー」と全てを理解したかのような声を発した。カードを空閑に渡すと「これはな、」と言ってから一拍置く。そして。 「誕生日おめでとう、ただ一度の恋をあなたに捧げますって書いてあるんだ」 「こい」 「そう、恋。お前はあいつの心を奪ったんだよ」 「ふむ、ということは差出人は迅さんの知り合いか?」 「あ、やべ、これ秘密なんだった」  飄々としていることの多い迅が珍しく焦った様子を見せる。忘れてくれ、なんて言われるが忘れられるわけがない。空閑は手の中にあるカードに目を落とす。読める字と読めない字の混じるそれを指でそっとなぞる。  迅と親しい仲で空閑に関係し花を贈るような人物となると、なんとなく見当はつく。空閑は彼女の物言わぬ熱烈な視線を感じていたし何度か話したこともある。ファンだとか推しだとか言っているのも聞いたことがあるし、緑川からもそのような話を聞いている。どこまで自身のことを知っているのかは知らないが、夜に咲く花を選ぶくらいだ、迅が何か言ったのかもしれない。かわいいひとだ、と空閑は思う。回りくどいことなんてせず、直接会いにでも話しにでも来ればいいのに。  ふいに空閑のスマホが通知を受け取る。緑川から送られてきたそれには「お姉さんがお祝いしたいんだって!ボーダー集合!」とだけ。彼女はバレてないとでも思っているのだろうか。空閑は頬を緩める。何も知らないふりをして、少し遊んでやろうかな。気づいていたと言ったら彼女はどんな顔をするだろう。  空閑は手書きのカードを大事にしまう。月下美人の鉢は日の当たるところに置いた。大きな蕾を指先でそっと撫でる。愛も恋も彼はまだ知らない、わからない。しかし彼女から向けられる感情が他と少し異なるのはわかる。それを悪くないと思っている自身がいることも理解している。この世の地獄を見てきた。争いのない世界を知らなかった。人を殺さない生き方を知らなかった。トリオンに依存しない世界を知らなかった。思っているよりも世界は広大で、知らないことのほうが遥かに多い。教えてほしい。愛も恋も、知らないこと、全部を。  迅と三雲隊の二人に「ちょっと本部行ってくる」と言うと、空閑は支部を飛び出していった。彼女に会ったら最初になんて言おうかと考えながら。 2021.07.18