※少し未来設定、捏造過多
やっと、会いに来れた。
◇
第一次大規模侵攻で友人を亡くした。
同じ年、同じ月に同じ病院で生まれた彼女とは、親同士の仲が良かったため、一緒にいろんなところに行ったことを覚えている。写真もたくさん撮った。家もそんなに遠くなかったからよくお互いの家を行き来した。小学校も中学校も一緒だった。でもずっと仲良しだったわけではない。たくさん喧嘩をしたし、絶交も何回したかわからない。彼女のことを羨ましく思って一方的に避けたことも悪口を言ってしまったこともある。けれど、何度離れてもいつの間にか隣には彼女がいた。それが当たり前だった。それがあるべき形だった。だって生まれたときからずっと一緒なんだから。
このまま一緒の高校に進学して、彼女とは興味を持つ分野が違うから大学は違うところに進学して、でも休みの日は一緒に遊びに行ったり旅行したり、彼氏ができたらダブルデートしたりして。そうして私たちは大人になっていくのだと思っていた。そんな未来を、二人で語り、思い描いていた。――あの日。突然黒い光が現れた中学三年の、あの日。大規模侵攻は街だけでなく、私たちの未来をも破壊した。
私はあれを目にしたがなんとか逃げ延び、倒壊した建物の陰に隠れていたため軽傷ですんだ。私たちの家周辺は悉く蹂躙され、彼女の家も例外ではなかった。彼女はそのとき家にいたらしい。何が起きたのかわからず混乱しているなか、彼女が病院に運ばれたと聞いて急いで向かったが、私が着く前に、いや、見つかったときにはすでに手遅れだったそうだ。崩れ落ちた家屋の一部が腹を貫通していたのだと聞いた。
私の両親も彼女の両親も無事だった。彼女だけが命を落とした。病院で彼女の両親に最後に会うかどうかを聞かれたが、私は首を横に振ることしかできなかった。変わり果てたであろう彼女に会う勇気が出なかったのだ。ずっと一緒だった。二人でいるのがあるべき形だった。その彼女がいない。私を呼ぶ声がひとつ減った。心にぽっかりと穴が空いた。寝ても覚めても変わらない現実。このとき初めて死というものに触れた。
家族葬に呼んでもらえたが、やはりどうしても彼女に会う勇気が出なかった。斎場には連れて行ってもらったが、私は眠る彼女に会えないまま焼かれ、彼女の骨を拾うことはなかった。終わったあとに彼女の全てがおさまった骨壷を差し出されて思わず受け取った。重いけど軽い。軽いけど重い。こんなものに、彼女の全てが入ってしまったというのか。一緒に過ごした過去も、ともに語り合った未来も。全て。遺影の中の彼女は綻んだように微笑んでいる。これは、こないだの春休みに遊びに行ったときのものだ。彼女が初めて好きな人がいると告白してくれたときのもの。恋をしている彼女は本当に美しくて、世界一可愛くて、この瞬間を残さねばとシャッターを切った。瓦礫の中から奇跡的に見つかった彼女とのアルバムの、いちばん最後を飾っていた一枚。この一枚だけが、綺麗に残っていた。どうして彼女が死んだのだろう。どうして私が生き残ったのだろう。どうして。答えのない問いが頭の中をぐるぐると回る。誰にもこの答えはわからない。自分で見つけるしかない。一生をかけて、答えを探すしかない。ならばきっと、彼女と語り合った私は死んだ。この街で、彼女とともに死んだのだ。
不思議と涙は出なかった。これからやるべきことはすでに決まっている。ぽっかりと空いた心の穴を埋めるようにそれがはまり込んでいく。
第一次大規模侵攻であれらを撃破した未知の組織、ボーダーに入る。そしてもう誰も死なせはしない。
それからの日々は怒涛だった。
トリオン、近界民。知らないことが次々とあらわになり、確かな輪郭をもって知覚されていく。私はボーダーに入隊し、ボーダーと提携した高校に進学した。両親はとくに反対をしなかった。私のしたいことが明確だったからだろう。もしかしたら、そうしなければ私が折れてしまうと気づいていたのかもしれない。
ボーダーでは戦闘員を志願したが、これまで戦ったことがないため右も左もわからず、早く強くなりたいのになれないもどかしさでイライラした。とてつもなく高いB級への壁に、どうしようもないまま時間だけが過ぎていき焦っていたところで、彼――迅悠一に出会った。迅に押しかけ、弟子入りを頼み込んだが彼はそういうのはしないと弟子にしてもらえなかった。相手にならいつでもなってくれると言うので、その日から彼との模擬戦が始まった。
入隊から一年。B級に上がり、チームを組んだ。この頃にチームランク戦のシステムが導入された。迅との模擬戦はそう長くは続かず、彼はスコーピオンを開発してしばらくすると、ぴたりと姿を見せなくなった。あとでS級になったのだと聞いた。
入隊から二年。チームはA級の末席に名を連ねた。
入隊から三年。遠征部隊に選抜、初めて近界に行った。今の日本には存在しない戦争を、初めて目にした。近界は技術も文化も異なる、本当の異世界だった。
入隊から四年。チームは解散、私だけがボーダーに残った。大学はボーダーと提携している大学に進学した。防衛任務は変わらず請け負ったし、個人ランク戦にもたびたび顔を出した。切磋琢磨する年下の子たちを見ながらこの日常を守ってあげたいなんて思う。けれど、当然のことながらチーム単位で動く必要のある任務へはほとんど参加できない。個人でできることは限られている。A級隊員として在籍しているだけになっていく私を誘ってくれたのは迅で、そして玉狛だった。今思えば、彼はいつも私の人生の分岐点に立っている。そうしてこの数ヶ月後、空閑遊真に出会った。
◇
燦々と輝く太陽は、コンクリートも植物も人間の肌すらも容赦なくその熱で焼いていく。ふとトリオン体だったらこの暑さも耐えられるだろうか、などと思う。とめどなく流れていく汗を吸った服が張り付いて気持ち悪い。拭いきれなかった汗が地面に落ちて濃い染みを作る。
「墓ってこんなにあるのか、知らなかった」
ぐわんぐわんと響く蝉の鳴き声で彼――空閑遊真の声が掻き消される。「なんて?」と後ろを振り返ると、彼は「なんでもないよ」とおどけた顔を見せた。涼しそうに見える彼も相当暑いのだろう、ぽたりぽたりと汗を垂らしている。トリオン体でも暑さには敵わないらしい。
空閑遊真と出会って一年未満。彼の特殊な生い立ちはだいたい知っている。それぞれ師匠がいて私は特別稽古をつけることはなかったが、玉狛の後輩である三雲隊とはまあまあ良い関係を築くことができている、と思う。
これまで彼女の命日は四度あったが、臆病な私はお墓参りに行くことができなかった。
骨壷には触れたが、彼女の骨は見ていない。お墓も知らない。彼女だったものを見ることがなければ、彼女の入っているお墓の前に立つことがなければ、それは知らないのと同じ。本当はあの日、あの場所から逃げ延びて、この世界のどこかで生きているのかもしれない。あるいは近界で。そんなことを思う。思いたかった。けれどあの日から彼女の写真は増えないし、私の写真も増えない。二人のアルバムは微笑んでいる彼女しかいない。
今年で私は二十歳になる。彼女と二人で語り合った未来には程遠い道を歩んできた。そしてこれからも歩んでいく。いつまでもこのままではいけないと、お墓参りの決意をした。決意はしたものの、ひとりで彼女と対面することに尻込みしていると、迅が「遊真を連れて行けば?」とひとこと。そしてあれよあれよという間に遊真が付き添ってくれることになった。
彼女の両親にお墓参りに行くことを伝えるとなぜか泣かせてしまった。彼女の死後、進路を大きく変えた私のことをずっと気にしてくれていたらしい。お墓参りに行くことができなかったのは私の心の弱さが原因だと言うと、二人は口を揃えてそれは違うと言った。何事も受け入れるには準備がいる。突然の大きな出来事で、受け入れるための準備に時間がかかっただけなのだと。お墓参りに行かずとも、彼女のことを覚えていてくれるだけで嬉しいと二人は言った。忘れるわけがない。一生忘れない。彼女はずっとあの笑顔のまま、私のなかで生きているのだから。けれど、あの笑顔以外が思い出せなくなってきたのもまた事実だった。声も、表情も、繋いだ手の温もりも。まだ、五年しか経っていないのに。彼女と過ごした時間のほうがずっと長いはずなのに。
いくつもの墓石の前を横を通り過ぎ、彼女のお墓に辿り着いた。ここに来るのは五年かかったのに呆気なく辿り着いてしまった。
この場所でひとり、彼女は眠っている。春も夏も秋も冬も、朝も夜もなく、訪れる誰かを待ちながら、ひとりで、ずっと。熱を持つ墓石に手を伸ばす。柔らかくもなんともない無機質なそれに触れて、今、はっきりと理解した。本当は、理解したくなかった。だからずっと避けていた。目を逸らしたかった。ここに来たら嫌でも理解してしまう。――彼女は、もうこの世のどこにもいないのだということを。
これまで流すことのなかった涙があふれてきて止まらない。炎天下、影に入らず、涙を拭わず、仏花を抱えたまま、ただただ泣いた。心の奥に溜め込んでいた感情が壊れて外に出てきてしまったのか、ひたすらに泣いた。壊れたものは修復できても二度と元には戻らない。きっと私の心ももう元には戻らない。彼女と過ごした十五年近くが走馬灯のように流れていく。
今まで来れなくてごめん。会いに来れなくてごめん。あなたがいない世界を受け入れられなかった。ここに来たら、来てしまったら、あなたとの記憶はなくなってしまう気がして怖かった。私のなかのあなたが消えてしまうことが怖かった。
嗚咽が止まらない私の背中を、遊真は何も言わずに撫でてくれた。出会ったときから一ミリも変わらない小さな手が、今はとても頼もしかった。
「墓ってのはいいものだな」
付き添ってくれたお礼に、涼みがてら喫茶店に入った。向かい合わせに座って注文をする。運ばれてきたドリンクに口を付けてしばらくすると、遊真は突然そう言った。泣き疲れて少しだけ眠くなっていた私は、彼の言葉がよくわからなくて首を傾げる。
「そこに行けば会える、という場所があるのはいいものだ」
「本当に会えるわけではないのに?」
「死んだら会えなくなるのは当たり前だろ。でもそこに行けばその人の名前が刻まれていて、在るのは石だけどその下にはその人だったものがあって、まるでその人に会っているかのように思える。死者に囚われすぎない、いい仕組みだ」
ふうん、と相づちを打つ。彼は穏やかな表情のまま、左手の人差し指にある黒い指輪――黒トリガーを撫でる。息子の遊真を迫りくる死から遠ざけるために黒トリガーになったという彼の父親。遊真はそれを肌見離さず持ち歩いている。
「おれはいろんな国を見てきた。死体が残らないのも、墓がないのも、そのせいで家族や恋人が死んだことを受け入れられない人も見てきた。でも日本は死んだあとも会いに行ける。ひとりぼっちにならなくてすむ。これはとてもいいことだ」
「ひとりぼっちだよ、誰かが来るまでは」
「場所さえわかれば誰かが来てくれるじゃん。墓参りっていうのはそういうものだろ。全然違うところで全然違う方向に手を合わせるんじゃないからな」
左手をかざした彼は「おれも親父の墓、つくってあげようかな」なんて言う。
「お墓って高いよ」
「ダイジョーブ、ボーダーで稼いでますから」
彼はいつものおどけた表情でぐっと親指を立てた。それもそうだと笑みがこぼれる。彼を見つめると、赤い瞳が瞬いた。それはいたずらっ子のように細められる。そしたらさ、と彼は続けた。
「今度はおれの墓参りに付き合ってくれよ」
「それはもちろん、いいけど」
「けど?」
「遊真のお父さんになんて自己紹介したらいいかな。玉狛の先輩です、かな?」
「そうだな、それもいい」
彼は含みのある言い方をした。師弟関係ではなく、友人ではなく、付き合っているわけでもない。先輩後輩以外になんて言えばいいのだろう。私たちの関係にこれといった名前はついていないのに。
「おれ、先輩と一緒だったら死んでも寂しくないなって思った」
「もう自分の話?気が早くない?」
「違うよ。おれと一緒の墓に入ってくれってこと」
「へー、一緒の墓、に、」
いつの間にか右手は彼の左手に包まれていた。彼の黒トリガーがひたりと触れている。一緒の墓に入ること。言葉の意味に気づき、はっと彼を見た。彼の唇は弧を描いている。私の周りをただよっていた眠気は近界の彼方に飛んでいった。彼の小さな親指は私を急かすことなく手の甲をゆるゆると撫でさする。こんな、こんなの、初めてだ。どんな顔をしたらいいのかわからない。心臓が忙しなく脈打っている。
「そそそ、それって、どういう」
「あれ、違ったか?」
彼は首を傾げる。白い髪が動きに合わせてふわふわと揺れた。
「迅さんからこう言うといいって聞いたんだが」
「あいつ、なんてことを……」
「でもウソじゃないぞ。本気だ」
空閑遊真はトリオン体だ。生身は損傷が激しく、彼の心臓が一秒でも長く拍動を続けられるように、父親によって黒トリガーの中に格納されている。生きてここにいるけれどその実誰よりも限りなく死に近い。彼はそういう存在だ。だから目標を立てることはあっても、果たせない約束はしない。そのはずだった。
「こっちはおれが十八にならないとケッコンできないんだろ?だから、あと二年待ってよ」
そうしたら、ケッコンしよう。
息を呑む。彼にとっていつ終わりが来るのかわからない中での二年はどれほどの長さなのだろう。あるいは、どれほど短いのだろう。
「もしその間におれの生身が限界を迎えたら、墓をつくってくれ。さっきの、先輩の友だちって人が羨ましいなって思ったんだ。こんなに思ってもらえて、泣いてもらえて、羨ましいなって」
そんなこと言わないで。自分が消えたあとの話をしないで。一緒に生きて。彼の手をぎゅうと握り締める。まだこれから、楽しいことも悲しいことも、きっとたくさんあるはずだ。知らないこともたくさんあるはず。だから、まだ、終わりの話をしないで。
一度緩んだ涙腺は脆くなるのか、涙を流しながら首を振ることしかできない。
店内のBGMは遠く、私たち以外の客がいなければ店員もどこかへ行ってしまったらしく見当たらない。飲みかけのドリンクはとっくに氷が溶けていて、グラスの水滴はテーブルを濡らしている。こちらを見つめる鮮やかな双眸が、ふいに弓なりに細められる。テーブルに手をついた彼は身を乗り出した。外されない視線に全てを察して顔を寄せる。
「いいのか?」
彼がひそめた声で問う。
「……うん」
「アイサツじゃないぞ」
「わかってる」
「じゃあ、そうだな、……イタダキマス」
誰も見ていませんように。そう願いながら、そっと目を瞑った。彼の白い髪がやわらかく頬を撫でる。彼の手を握り締めていたはずなのに、気がつけば絡め取られていた。私より小さくて細い、けれど頼もしい手。初めてのキスは涙の味がした。それからほんのり、彼の飲んでいたジュースの味も。席に着く彼をじっと見つめていると「こっち見るな」と頬を色づかせながら言ってきた。彼も照れたりするんだ、と思うと愛しさがぶわりとあふれてきて、涙とともにこぼれ落ちた。
もうすぐ夏が終わる。私と遊真は少し未来の約束をした。彼は果たせない約束はしない。二年後、きっと私は空閑遊真と結婚する。
2021.08
『夏の君が眩し過ぎて』様提出