自転車をかっ飛ばす。坂道を駆け上る。少しくらい息が上がっても気にしない。一ヶ月ほど前から何度も通っている道を、今日も行く。  ひとえに、この夏を遊真くんと過ごすために。  三門市立第三中学校三年の冬に、季節外れの転校生としてやってきた空閑遊真くんとは、高校も同じ三門市立第一高等学校になった。中学でも注目されていたけれど、高校ではその注目度は桁違いのように感じた。ボーダー隊員というだけでなく、周りの男子とは違う雰囲気を持ち、浮世離れした容姿の彼の噂は後を絶たず、接していくうちに惹かれないはずもなく。私もまた、同じだった。  空閑くんは三雲くんと一緒に行動することが多く、二人きりになるチャンスはほとんどなかった。そんななか、たまたま三雲くんが休みの日があり、思い切って空閑くんに声をかけてみた。席が隣になったこともあるし、日常で会話をする程度の仲ではある。それ以上の、放課後誘うとか遊びに行くとかはしたことがない。  だというのに、あろうことか、勢いあまって人生初の告白をしてしまった。これから始まる夏に浮かれていたのかもしれない。それだけじゃない、驕りのようなものだってあったかもしれない。  高校生になって、付き合い始める人が増えた。一緒に登下校しているところや放課後に遊んでいるところを目撃したりなんかして。そういうちょっぴり甘さを感じる空気に、思うところがなかったわけではない。  返事を待っている間の数秒は、心臓が痛くて静寂が苦しくて、窓の外から課外活動の様子がやけにはっきり聞こえてきて、おそろしく長い時間のように感じた。  正しく意図が伝わっているのか。突然何を言い出すのかと不審に思われていないか。そもそもなんで告白しちゃったんだっけ。――そうだ、空閑くんと一緒に帰ったり遊んだりしたいなって、空閑くんのこともっと知りたいし、いっそ付き合ってみたりとかはどうかなって。軽率に、そんなことを。  赤い瞳が数度瞬いて。首を傾げながら彼は言う。 「付き合う、はおれにはわからん。遊びに行く、ならいいよ。ニホンの夏は初めてなんだ、おれの知らないことを教えてくれ」  告白大失敗。でも得たものもある。   ◇  できる限りの夏を遊真くんと過ごした。ボーダーとの関係上、海に行くなどの遠出はできなかった。  今日はお祭りに行く約束をした。大きなお祭りはもう終わっている。タイミングが合わなくて行けなかったのだ。規模の小さいものだけどお祭りはお祭り。お囃子は奏でられているし、屋台もずらりと並んでいる。  せっかくだからと去年に買ってもらった浴衣を着てみたところ、裾がつんつるてん気味になっていた。身長が伸びるのは嬉しいことだけど、今じゃないんだよなあと思った。そういえば、遊真くんとの身長差は全然縮まらない。小柄な印象のまま、もしかしたらもっと差が開いてしまったかもしれない。これから成長期が来るのかな。私はもう伸びなくていいのにな。  待ち合わせ場所に着くと、遊真くんも浴衣を着ていた。示し合わせたわけではないのに、なんだかとっても嬉しくなって、心だけでなく体も弾んでしまう。 「おお、よく似合ってマス」 「ありがとう。遊真くんも、似合ってる」  それじゃあ行こうかと、横に並んで歩き出す。一定の距離を保ったまま。付き合っていないし、その予定もない。遊びに行くだけの仲だ。それを世間では友達という。けれども、友達だというには下心があるから、自称するのはためらいがある。  待ち合わせるたび、遊びに行くたび、夏をともに過ごすたび。私はもうずっと気持ちを募らせている。私だけがどきどきしっぱなしで、私だけがどうしようもない感情を燻ぶらせている。  あれはなんだこれはなんだと、興味津々で屋台をまわる遊真くんを見つめながら、本当に違うところで育ったことを実感する。中学の時に紛争地帯にいたと言っているのを聞いたことがある。争いのない日本で生まれ育った私には想像もつかないけれど。少ない知識の中で、地球上の紛争地帯と言われる地域の様子を思い浮かべる。そこでは、こんなふうに夏を感じられなかったかもしれない。こんなふうに誰かと一緒に遊ぶ機会もなかったかもしれない。  遊真くんがふと足を止める。その視線の先には。 「わたあめ……」 「甘くておいしいんだよ。ちょっと待っててね」  白くてふわふわのわたあめみたいだって、遊真くんを初めて見たときにちょっとだけ連想したことを思い出す。中身というか、性格は全然わたあめじゃなかったけれど。どちらかというと、スパイシーな感じだけど。  遊真くんにわたあめの棒を渡す。大きくかぶりついたあと、「⁉」という表情をした。 「こんなに大きいのに、すぐなくなっちゃうんだよね」 「甘くてふわふわ……未知の味だな……」  そのあとはキンキンに冷えた瓶ラムネを買った。大きなアイスボックスから取り出す瞬間も含め、夏っぽくて好きなもののひとつだ。炭酸飲料はあまり飲まないけれど、これだけは別だった。汗ばむ体にラムネの爽やかな甘みが広がっていく。 「キンキンとシュワシュワ。奇跡のマリアージュだな」 「マリアージュ」 「最近教えてもらった言葉だ」  使い方あってるか? と聞かれたけれど、私もわからなくて「たぶん」と答えた。帰ったら調べてみよう。  知らないことを教えるなんて張り切ったはいいものの、私だってまだまだ知らないことばかりだ。私のほうが知っていることもあれば、遊真くんのほうが知っていることもあるだろう。もちろん二人とも知らないことだってある。そういうのを、二人で少しずつ経験していけたらいいなって思うのだ。  日も沈み、人が増えていく。酔ってる人なんかもいて、ぶつからないように歩くのが大変になってきた。お囃子が遠くに感じる。ちょっと疲れてきたのかもしれない。  人混みの中をすいすい進んでいく遊真くんに追いつこうとがんばるけれど、履きなれない下駄は少しずつ牙を向く。  こういうときに手とか繋げたら、はぐれないのにな。一緒の歩幅で歩けるのにな。でも私たちは付き合っていないし、ましてや家族でもないから、そういうことはしない。できない。  気持ちが落ち込んでいく。どれだけ一緒に過ごしても、いろんなことを教えても、付き合うことはできない。遊真くんの心がこっちを向いてくれない限りは。  遊真くんの向いている先がどこなのかはわからない。私やクラスメートのように、将来や未来といった、いつか必ずたどり着く場所へは向いていないような気がする。だから、彼はできない約束はしないし、きっと誰とも付き合うつもりなんてないのだと思う。付き合うがわからないと言ったのは、彼なりの優しいウソなんだと今ならわかる。  人混みを抜けた先で、遊真くんが私を待ってくれていた。「お待たせ」と小走りで駆け寄ると、「先に行きすぎた。スマン」と返ってきた。首を横に振る。気づいて待っててくれたことがじわじわと嬉しい。 「下駄って、靴とかローファーより歩きにくくて。先に言っておけばよかったね」 「ふむ。そうなのか。先に聞いておけばよかったな」 「大丈夫だと思ったんだけどなぁ。ちょっと足痛くなってきたし、どこか空いてるところに座りたいかも」 「歩きっぱなしだったからな。探してくるよ、ここで待っててくれ」  そうして小さくなる背中を見つめながら、しゃがみ込む。――痛い。足もだけど、心も痛い。楽しいのに、嬉しいのに、苦しくて、悲しい。この時間が終わってしまうことがつらい。遊真くんてばひどいな、告白したときにちゃんとフってくれたらよかったのに。そしたらきっと、私は諦めて次に進んでいたのに。こうして過ごす時間が増えていったら、もっと好きになるしかないのに。  泣いちゃだめだと思いながらも、体は言うことを聞かなくて、涙がぼろぼろとあふれてくる。遊真くんが戻ってくるまでに止めなきゃなのに。どうしよう、止まらない。びっくりさせてしまう。 「おーい、あっちに、って泣いてる⁉ 足、痛むか?」  しゃがみながら顔を上げた私のひどい顔面を見て、おろおろする遊真くんは、いつものかっこよくてちょっとかわいい遊真くんとは全然違った。こんなに慌てることあるんだって、ちょっとだけ笑ってしまった。 「泣きながら笑っている……?」 「あのね、遊真くんのせいだよ」 「えっ、それは大変失礼を……」 「違う違う。楽しい時間がもっと続いたらいいのになって思ったの。遊真くんと、これからも」  その瞬間、すっと伏せられた目に、「ああ、やっぱり」と思った。わかってたことなのに。ズキズキとどこかが痛む。どこが痛いのか、もうわからない。  目線を合わせるようにしゃがんだ遊真くんは、真っ直ぐに私を見る。私もじっと見つめる。お互いに、静かに。お祭りの喧騒は遠く、何者も私たちに干渉しない。  誠実なところ、裏表のないところ、心が強くて、負けず嫌いなところもあって、なによりも強い意志を持っている遊真くんが好き。告白したときはそこまで彼のことを知らなかったけれど、今ならどこが好きなのかを言える。過ごした時間と重ねてきた日々が、彼の輪郭をより鮮明にしていく。  だから、わかってしまう。その仕草一つで、これから話すことは嘘偽りない真実なのだと。 「楽しいよ。楽しかったよ。知らないことを教えてくれて感謝してマス。でも、おれにはまだやることがある。そのためにボーダーにいる」 「……うん」 「楽しくないとか付き合いたくないとか、そういうのじゃないことだけはわかってくれ」 「、うん」 「……あ。だからおれのせい、なんだな」  私より一回りほど小さい手のひらが頭をなでる。そんなふうに思わせぶりなことしないでよって、言いたいのに言えなくて。もっと泣けてきて。けれども、涙は拭ってくれなくて。そういうところが好きだから、嫌いになれなくて。 「悪いな。付き合ってやれなくて」 「あやまらないで。遊真くんは悪くないから」 「そうか。……足、痛むか?」 「ちょっと。でも、歩けるから大丈夫」 「……おれは、どうしたらいい?」 「それは、たぶん遊真くん自身が決めることだよ」  ハッとした顔をしたあと、微笑みながら「そうだな」と返ってくる。珍しい様子の遊真くんに付け込むことだってできたけれど、それは私自身が許さない。そうして彼の手を借りずに立ち上がる。喧騒が戻ってくる。彼との身長差が開いていく。夜空には月が浮かぶ。  夏の終わり。私の恋は星になる。 2025.09