そのメッセージはXデー前日の夕方に送られてきた。「明日ヒマやし付き合うたる」の一文。今の私にとっては何よりも有り難いものだった。感謝の絵文字とともに自分のタイムスケジュールを送る。嗚呼、神様仏様水上様。水上宅の住所は知らないが、たぶん住んでいるであろう方角に向かって拝み倒す。  明日の朝は早い。行き先は現代の戦場。持つべきものは趣味への理解がある友人だな、なんて思いながら眠りについた。    イベント当日、早朝。  目覚めたときから戦いは始まっている。  いつも以上に身支度に時間をかけ(普段オンラインでお話する方々とリアルで会うため、また、神と崇めている方々の視界に入り込む可能性があるため)、お手紙と差し入れと、それから忘れてはならないのがお買い物リストと配置図。諭吉は英世に崩したし、一部の英世は硬貨に崩した。会場へのルートはばっちり、時間もきっかり予定通り。  乗り換えの駅で待ち合わせていた水上を拾って会場へ向かった。すでに長蛇となっている待機列に並び、今日のミッションについて彼に説明する。 「今日はジャンルのオンリーがいくつか集まったイベントです。規模としては中くらい」 「ほーん」 「水上はこういうの来たことある?」 「あらへんな。けどなんとなくはわかるで」 「ふむふむ、りょ。さて、今回水上にしてもらうのはお買い物です」 「お買い物」 「広い会場にはオンリーごとに島があるのね、会場が分かれてることもある。大手と呼ばれるサークルは多く刷ってくれるから優先順位としては後でいい。優先順位高いのはなぜか島中に紛れ込んだ大手といっても過言ではないサークルや通販をされないサークル。そして厄介なことに欲しい本は散らばっている。効率よく入手するためには一人より二人、二人より三人で手分けするのが理想形」 「なるほど」 「というわけでこちらのお買い物リスト、水上に頼みたいものたちです。こっちはお財布、多めに入れてるから足りると思う。地図にルート例書いておいたので臨機応変によろしくです」 「ほんま遠慮あらへんな」 「いやもうオタバレしたときに遠慮とか消えたから」  水上にオタバレしたのは一年ほど前のことだ。必死で隠していたわけではないものの、親しくないひとにバレるのはちょっと気まずかった。話の流れでさらに親しくない誰かに言ってしまうのではないかとびくびくした。ところがどっこい、彼はできれば隠しておきたいという意図を完全に理解し、二人だけの秘密となった。いやオタ友だちがいるから二人だけではないけれども。バレてからは彼に対しては開き直った。そして何でも聞いてくれる彼には有り難くいろんなことを話させてもらっているので、私が即売会に行くことも、創作活動をしていることも、一部腐っていることも知っている。それをからかったり面白がったりしないから、それなりに信頼しているのだ。だから今日も彼を呼んだのである。 「頼む、戦友」 「誰がや」 「でも途中で水上の欲しいのあったらそっち優先してね、私のは後回しでいいから」 「へいへい」  待機中、水上にソシャゲを布教した。彼は基本的にすすめたものを拒まないが、はまることもない。ダウンロードしてくれたこのソシャゲも、きっと今日以降ログインすることはないだろう。それでもいい。彼のそういうところが嫌いじゃない。とりあえずやってみようとしてくれるのはすすめた側としては嬉しいものだ。チュートリアルを見守り、フレンドになり、少しストーリーを進めたところで遠くから拍手が聞こえてきた。一般入場が始まったのだと気づく。  ぞろぞろと収容されていく人の波に乗って辿り着いた先、同士の集う場所。命を削りながら作り上げたものの集う場所。世界でいちばん、魂に触れられる場所。この異様で狂気的で魅力的な空間は、誰にも、神様にだって侵せやしない。    集合時間と場所を伝えて散開。水上は「ほな、またあとで」と、ひらひらと手を振ったかと思えばすぐに見えなくなった。  ここからが本当の戦場である。目の前に立ちはだかる人混み、これを掻き分けて欲しいものを的確に効率よく、そして予定にはない宝物をもゲットしていかなければならないのだから。  深呼吸をする。何度参加してもこの空間は、賑やかさは好きだ。なにものにも変え難い。私もインターネットの隅っこで活動しているため、背中を押されている気分になる。いつか私も、サークル側で参加したい。そう思いながら、一歩を踏み出した。    気がつけば集合時間間近になっていた。戦利品で重くなった荷物を抱えてにやにやしながらも慌てて指定した場所へ行くと、水上がスマホを見ながら立っていた。待たせてしまったかと謝りながら駆け寄る。彼はちらりとこちらに視線を寄越すとすぐスマホに戻し「お疲れさん」と言った。 「ミッションコンプリート。ほんで朝入れたゲーム進めててん、せやしべつに待ってへんで」  意外だな、と思った。彼の性格上、そのゲームはもうログインしないものだと思っていたのに。  私の視線を感じ取ったのか、彼はこっちを見るなとばかりに手を伸ばしてきて、目元を覆われた。手の重みで額が押され少し顎が上がる。五感はバランスよく出来ていて、視覚が使えなくなると代わりに他の感覚が研ぎ澄まされていく。だから今は、周囲の声や音がつぶさに聞こえる。いつもはあまり感じない彼の香りが一段と濃くなり、先ほどより近くにいるのだとわかる。と、耳元に熱を感じた。触れた吐息のあつさなのか、自分の体温が上がっているからあついのか、わからない。 「腹減ったわ」  言葉通りの意味でしかないのに、掠れているからか妙な甘さが滲むその声音に呼吸を、動きを止められる。視界はいまだ遮られたまま。 「なんか食べたいもんある?」 「……なんでもいい」 「うわ、それいっちゃん面倒なやつ。麺にすんで」 「いいよ、麺好きだから」  ほな行こか、という声とともにようやく彼の手が離れ、視界は光を取り戻す。触れていたところがゆっくりと冷えていくのがなんだかもったいなくて、指先で目元に触れる。世界のまぶしさに、すたすたと歩いていく彼の背に、目を細める。じっと見つめているとくるりと振り返って「置いてくで」と言われたので慌てて追いかけた。    ◇    お礼と言うには安すぎるだろうがお昼を奢らせてもらった。せめてもの気持ちだ。そうして店を出たときには日が傾きだしていた。  駅に向かって並んで歩く。肩も手の甲もぶつからない程度に二人の間は空いている。 「今日はありがとね、付き合ってもらって」 「まあ、ヒマやったしな」  水上は昨日送られてきたメッセージそのままを口にする。 「水上さ、ソシャゲとかあんま興味ないでしょ。今朝のやつ消していいからね」  それで彼のことを嫌いになったりはしない。もともとバレた私が開き直ってるだけで、彼は興味を持っていないし、これから持つこともないだろう。私の話をうまく聞き流してくれているのだ。否定はない。解釈違いもない。話しやすいから彼に話しているだけ。 「せやなあ」  返ってきたのは彼らしからぬ返事だった。 「飽きたらやめるわ」 「あれ、珍しいね? どうしたの」 「どうしたって、どうもこうも布教してきた側が早々に諦めてどないすんねん」 「いやだって水上だもん」 「あのなあ、」  彼は頭をがしがしと掻きながら、何か言葉を探しているようだった。それを待つ。いつもは私ばかり話しているのだ、何秒でも何分でも、何時間でも待つ。  やがて彼は、唇を尖らせながら拗ねたように呟く。 「……俺かて同じ話題、共有したいねん、わかれや」 「……ほんとに水上?」  首を傾げる。見上げた先、彼の目がこちらを見ていた。数秒、もしかしたらほんの一瞬だったかもしれない。見つめ合って、そして彼はわなわなと震えると大きな声を出した。 「あーもう! あほ! おまえほんっま、あほ!」  こんな彼は見たことがない。突然のことにびっくりするも、彼の表情から言葉通りの意味でないことに気づく。がばっとしゃがみ込んだ彼は大きなため息をついた。おもむろに私の手首を掴むと引き寄せる。その手はするりと手のひらに滑り込んできて、やわく握られる。 「……一回しか言わん」 「うん」 「よう聞きや」 「うん」 「……気になってる子の、好きなものは知りたいって思うやろ。どんなキャラが好きなのか、どんな話が好きなのか、何に心を動かされるのか。それをそんな、簡単に消すわけないやろ、あほ」  ――いま、胸のうちでじわりと沸き起こったこの気持ちは、何というのだろう。あたたかくて、くすぐったくて、でも心地良い。普段なら絶対にしない表情、言わない言葉。彼の見せてくれたやわくてよわくてもろいところ。そんな彼に動かされない心なんて、あるわけがない。 「あのね、私はね、」 「いやや、聞きたない」 「聞いて。いつも聞いてくれるのに、こういうときだけ耳塞ぐのはずるい」 「……いま、それ持ってくるおまえのほうがずるい」 「一方的に言い逃げするのもずるい。水上のくせに弱腰だね」  何て言えばいいかな、どうしたら伝わるかな。頭の中で飛び交う言葉たちを整理しながら、こちらを見ない彼を見下ろす。手は握られたまま。聞きたくないと言いながら振りほどかないあたり、心と体が噛み合っていないのかもしれない。彼らしくて、彼らしくない。矛盾しているけれど、そうとしか思えない。 「俺の何を知ってんねん」 「何も知らない。だから教えてよ、これから」  私もしゃがみ込んで、彼と目線を合わせる。こんな彼は私しか知らないのかな。そうだといいのに。誰にも見られたくない、見せたくない。私だけのものにできたらいいのに。 「私はいっぱい話したよ。今度は水上の番」 「……おん」 「今すぐじゃなくていいからさ、明日から少しずつ教えて。水上のこと、好きなこと、嫌いなこと、なんでも」 「俺、好き嫌い激しいねん。聞いてから後悔しても知らんで」 「それ、今初めて知った」  二人で小さく笑い合う。  きみの知らないところは、きっとまだまだたくさんある。知らないなら教えてもらえばいい、知っていけばいい。そうしていつか、二人だけの世界に辿り着く。 2021.08