『トリオン漏出過多、緊急脱出』  にこやかな笑顔のままこちらに向かってひらひらと手を振る相手を、これでもかと睨めつける。毎度おなじみの機械的な音声が流れて、気がつけばブースに戻っていた。  悔しい。そういえば宿題終わってない。帰りにスーパー寄らなきゃ。思考があちこちに飛んでいく。――なんでこんなことしてるんだっけ。  そのまま転がっていると、対戦相手――王子一彰がゆったりとした足取りでブースに入ってきた。 「もうおしまい?」  小首を傾げながら彼が言う。 「昨日はまぐれだったのかな?それとも、今日は負けに来た?」 「嫌味なやつ……」 「酷いなあ、優しさだよ」  彼の笑みを、今日も崩せない。 ◇  王子一彰のことはボーダーに入隊してから知った。といっても私が入隊したときには彼は既にB級の隊にいたし、年齢が一緒なだけでとくに関わりはなく、また今後も関わることはないと思っていた。ところが、ポジションを模索しながらなんとかB級に上がり、フリーでゆるゆると個人ランク戦をしていたある日。 「ぼくと対戦しない?」  突然王子に声をかけられた。  辻斬りまがいのことをしていたなら目をつけられてもおかしくはないが、私は勝率五分五分の一般隊員だ。なぜ?わけもわからぬまま彼の誘いを受けた。しかしB級上位隊の隊員に為すすべもなく惨敗。圧倒的な実力差に、なぜ私に声をかけたのか疑問が募る。暇つぶしか?弱いねと笑いものにでもしたかったのか?考えれば考えるほどイライラしてきて、笑みを称えた王子の顔を見上げながら、その綺麗な顔を歪ませてやりたいと思った。  それからは毎日のように彼に挑んでは負け続けた。そして、対戦が終わるとなぜか二人で反省会をした。その日の私のどこが良かったのかあるいはダメだったのか、細かく分析し教えてくれた。  トリガーは弧月からスコーピオンに変更した。同時にランク戦のログでスコーピオンの扱いを少しずつ覚えていった。加えて王子の癖でもわかればと思ったが私にはさっぱりだった。弧月の弱点をカバーするスコーピオンとハウンドを使い分けていて隙という隙がない。彼のことだ、きっと私の癖も弱点もすべて見抜いているのだろう。――王子に私の刃が届く日なんて、来るのかな。  対戦後、フロアのベンチに並んで座りながらぽつりと呟く。なんでいつも相手してくれるの、と。私と戦うことも反省会も、彼にメリットがあるとは思えない。何のリターンもないのだ。  王子は顎に手を当てながら「んー」とこぼした。 「正直、理解できないなあとは思う。だって飽きずに何度も何度も挑んでくるんだもん、君」  けれど、と彼は続ける。 「君はバカじゃない」 「あ?」 「こら。そうやってすぐ凄まないの」  褒められてるのか貶されてるのかわからなくて身構えた。もしものときはスコーピオンで綺麗な顔を真っ二つにしてやると心の中で息巻く。その気配を感じ取ったのか、褒めてるんだよと彼は付け加えた。 「守破離って知ってる?」  守破離は芸事における修行の過程を表すものだ。教わった型を守り、アレンジを加えて型を破り、そして離れて自分の型を作り上げること。 「君は今、破の段階にいる。ぼくは君より多くの人と戦ってきたし、彼らの戦い方をよく知っている。ログを見てただ真似するだけだった君が、ちょっとずつ変わってきたなと思うんだ」 「……そうなの?」 「そうなの」  必死に食らいつくばかりで、自分では気づかなかった。彼には負け続けてるけどちょっとは成長してるのかもしれない。 「だから、君の成長を見ていたくなった。これが理由じゃだめかな」  そう言って彼は覗き込むようにこちらを見た。笑みを浮かべたまま、けれどいつもより優しく見えるのはどうしてだろう。服越しに膝が触れる。ベンチに置いていた手に誰かの――王子の指が触れる。たどたどしく絡められたそれに、自分以外の体温がすくそばにあることに、心臓が早鐘を打つ。 「王子、ゆび、」 「そうだね、触れてる」  先ほどまでとは違う甘さを含んだ声。そこにいるのはよく知る王子なのに全然知らないひとみたいで、怖くなってあわてて立ち上がる。彼の指はあっさりと離れた。今日もありがとう!また明日ね!と言い残して走って逃げた。 ◇  いつの間にか王子は自らが隊長を務める隊を結成し、瞬く間にB級上位に食い込んだ。忙しいだろうに嫌な顔ひとつせず、挑み続ける私の相手をしてくれた。私のわがままで彼を振り回してしまっているのではと、対戦のたびに申し訳なさが募っていく。  そんななか、昨日初めて彼の片腕を落とすという成長があった。落とせた腕に驚いている間にハウンドで胴体をぶち抜かれて負けてしまったけれど。  そして今日。  昨日のは夢だったのかと思うほど、王子に攻撃が届かなかった。けれど煽られたまますごすごと帰るわけにはいかない。もっかいやる!と声を荒げる私に、王子は「そうこなくっちゃ」と笑みを浮かべた。  開始の合図と同時に王子から距離を取り、アステロイドを起動した。そしてコンマ数秒ごとに数発ずつ着弾場所をズラして撃つ。王子にシールドを展開させず回避に集中させ、そこに意識を割かれてる間に叩けたらいいなあと思っていたのだが。王子を撃つ気がないと判断するや否や、彼はこちらに攻め込んできた。真正面からの迎撃は避けたい。少し時間がほしい。ならばとメテオラで広範囲を攻撃し、粉塵を発生させた。視界を遮るのはメリットとデメリットがある。粉塵に乗じて一旦離脱し体勢を整えて奇襲に転じることができる一方、それは相手にとっても同じ。逃げられたと思っても、すぐそばまで近づかれているかもしれないのだ。――嫌な予感がする。日々戦うなかで研ぎ澄まされた勘が、警鐘を鳴らしている。  とりあえず距離をと、大きく後退しようとしたその時。突然粉塵の中から腕が伸びてきて首をわし掴まれた。首はトリオンの伝達系として重要な場所の一つ。ここを抑えられたら負けたも同然だった。  視界が晴れてきて、笑みを浮かべた王子の姿が現れた。右手で首を掴み、左手で弧月を握っている。さっさと止めを刺せばいいのになぜかそうしない。ふいに彼の親指が首の輪郭を滑り、喉に触れた。最初は撫でるだけだったが徐々に力が込められていく。トリオン体の痛覚はほとんどないものの呼吸がし辛くなることに変わりはない。なんのつもりなのかをたずねたが、彼はにこやかな笑みを称えたまま何も答えてくれない。  やがてひとりで何かを納得したのかうんうんと頷いた。そうして。 「どうやらぼくは君をひとりじめしたいみたいだ」  彼の言葉を理解する前に、首をスコーピオンで貫かれた。伝達系切断。このトリオン体はあと数秒もすれば活動できなくなる。だというのにスコーピオンを引っ込めたあと、王子はさらに距離を詰めた。首を掴んでいた手は顎へと移り、持ち上げられる。上を向かされた視界は彼でいっぱいになった。 「ぼくだけを見て、ブーゲンビリアの君」  ベイルアウト直前、王子の唇が触れたような気がした。  ベイルアウトしてしばらくの間、何が起きたのかわからず呆けていた。無意識に唇を触ってしまい、いやいやそんなわけないないと都合よく解釈しようとする自分への恥ずかしさで壁に頭突き。それを何回か繰り返して、ふといつもならブースに勝手に入ってくる王子が来ないことに気づいた。  あれと思い、音声を繋げて呼びかけてみると弱々しい彼の声が返ってきた。 「何かあった?そっち行くから待ってて」 「だめ。来ないで」 「どうして」 「……こんな、情けない顔、君には見られたくないから」  いま王子に会わなければ。なぜかそう思った。  ブースを飛び出して彼のところへ走っていく。王子のブースに駆け込むと彼はモニターの前に座っていたが、珍しく机に突っ伏している。そっと近寄ると、少しだけ顔を動かして腕の隙間からこちらを見上げた。いつもの爽やかな笑みはどこへ行ったのか。気まずそうな、ばつの悪い顔をしている。――王子のこんな顔は、初めて見た。 「来るなって言ったのに」  王子様然として、強くて、余裕があって、笑みを崩さない王子一彰という男。そんな彼の余裕のない姿が不覚にもぐっときた。きてしまった。 「悪い子だね」 「逃げようとする王子も悪い子だよ」 「……それもそうか」  彼は困ったように、照れくさそうに笑った。  これから王子との関係が変わるかもしれない。そんな気がした。 2021.05