――息を吐いた瞬間、間合いに踏み込まれ紫電一閃。体勢を崩しながらもすんでのところで躱し、再び間合いを取る。防戦一方で踏み込む隙がない。
伸びる背筋は心の余裕を表す。崩さぬ笑みは落ち着きを表す。瞬くあおは遥か遠く、空の色をしている。そして――。
「好きです。ぼくと付き合ってください」
すきですぼくとつきあってください?
わからない、いや、言葉の意味はわかる。自分自身もいつだったかに使ったことがある。しかしまさか、言い方は悪いがこんな陳腐な言葉がこの男――王子一彰の口から飛び出してくるとは露ほども思わず、呆然と立ち尽くす。そのようななかでも、いくつかの思考は並行して走っている。
こんなのあまりにもボーナスタイムなのに、どうして彼は一歩も動かないんだろう。逆にいまが反撃チャンスなのではないだろうか。彼が油断している――かもしれない――いまのうちに。
どこかで彼は、彼こそは特別だとでも思っていたのだろうか。告白ひとつとってもありふれたものではなく、オンリーワンの何かに変えてしまうとでも思っていたのだろうか。
そもそも、話を切り出すタイミングがおかしくないだろうか。なぜいま? 私はこれをどう受けて止めて、どう返すのが正解なの? 何を試されているわけ?
ふと我に返ると、にこっと効果音が聞こえてきそうなほどに清々しい笑みがこちらに向けられていた。思わずアステロイドで自らの片腕をぶち抜く。痛――くはないけれど、遠くの方で妙な感覚がうまれている。だからたぶん、頬をつねるまでもなく夢ではないと思う。
漏出するトリオンの向こう側に佇む彼の姿をなんとたとえればいいのだろう。気分はさながら最終決戦前の魔王と対話を試みる勇者のようだ。
「私的には、それって告白だと思うんだけど」
「そうだね」
「いま言うこと? とも思う」
ここには私たち二人しかいない。なぜか? 市街地を模したこの場所で模擬戦闘、つまり個人ランク戦をしているところだから。だからそう、まかり間違っても告白とかしている場合ではないのだ。普通は、おそらく。
小首を傾げて「それもそうだね」と言う彼に、わざとらしさは感じられない。だというのに。
「それで、返事は?」
「えっ、ここで?」
「もちろん」
「もちろん?!」
たとえば、これが休憩中や帰り道でのことだったら。少し考えるそぶりでもしてから弾みそうになる声を抑えつつ「よろこんで」と答えただろう。常日頃より彼のことは好ましく思っているから。むしろ光栄だとすら思うだろう。でもいまは、思考がうまく切り替えられず、混乱が先に溢れ出した。「保留。あとで考えさせて」と言いながら再びアステロイドを起動する。これは彼のスタイルを真似しているからだが、やってみるとトリガーの切り替えが難しく、平然とやってのける彼はやはりすごいと言わざるをえない。私は右利きなこともあり、日常生活で左を使う頻度を増やしてみたり、重い荷物を左で持ってみたりしてあがいている。
「おや、想定外の反応」
「こっちはいまそんな余裕ないの」
「余裕か。余分なものだと思われてるわけだ」
「それで君に勝てるならだけど、違うでしょ」
「それもそうだ」
弧月の切っ先がこちらに向けられる。微笑みは浮かべられたまま。私ばっかり必死で、なのに向こうは告白する余裕があって。実力差をこれでもかと感じさせられて面白くない。なんなの。むかつく。
身長にあわせて少しだけ刀身の短い弧月を両手で構える。彼ほどの機動力はない。手数もない。単純な力押しでは勝ち目はない。これまでに勝てた回は、彼の予想や予測を超えた、追い詰められた先での火事場の馬鹿力的な勝ち方で、その後再現することができなかった。
――考えろ。理想の動きを。考えろ。王子一彰に勝つイメージを。考えろ。私ができる最良の手を。
◇
何本やったか覚えていないけれど、いっぱい斬られたし、いっぱい斬ってやった。斬られて嬉しそうにする王子一彰は変なやつだとしか思えなかった。
「お疲れさま」
ぐったりしているところに差し出された缶コーヒーを受け取り、小さくお礼を言った。いつの間に背後に。王子一彰の動きを目で追う。私服の彼は回り込んだかと思えば隣にすとんと着席した。足を組み、私にくれたのと同じ缶コーヒーのプルタブを開ける。傾けながら「きみの好みはこれなんだね」と言うから、「カフェオレとかはあまり飲まないかな。ブラックのほうがチョコとか甘いものとあわせやすいし」と答えた。私もコーヒーを流し込む。先日までの寒さはどこへやら、今日はあったかかったなあと思う。
すると突然、彼に「手、出して」と言われた。
「なになに」
「いいからいいから」
手を要求され、わけもわからぬまま両手を差し出す。もしかして手首落とされる? 換装とかしておいたほうがいい?
そんな私をよそに、ポンと手のひらに置かれたのは小さな箱だった。軽くて小さくて、かわいい箱。
「なにこれ?」
「ふふ、わからない? 開けてみてよ」
もったいぶるなあと思いつつ、リボンを解き――背面にゴムが組み込まれてて伸びるから、解くというより外すという感じだった――、箱を開ける直前で気づいた。これ、チョコレートだ! って、あ! 今日バレンタインだ!? これ見たことあるいいとこのロゴだ?!
「アッ……チョッ、エット……」
「なんて? 聞こえない」
「あああありがとうございます!!」
「どういたしまして。ところで、ぼくには何もないの?」
「ヒョッ」
小さな声で「わたくしめは今日という日に何も用意をしていませんでした」と申し上げると、彼はこれみよがしに「ええ~~楽しみにしてたんだけどなあ」などと足を組み替えながらのたまった。
「いやいや君、誰かに何かしらもらってるでしょ。何もないとは言わせませんが」
「きみからはもらっていないよ」
「あげてないからね」
「だからほしいなあってこんなにアピールしてるのに」
「どれだけアピールされても無から有は生み出せないんだけどな……」
頭を抱えて――そういえば、と思い至る。さっき告白された気がする。あれ、あのとき私なんて言った? あとで考えるとかなんとか言った気がする。
バッと顔を上げると、彼はにっこり、いや、もはやにやにやしていた。やっと気づいたのかとでも言いたげに。
「それで、返事は?」
先ほどはタイミングどうこうとか余裕がないからとか、考えない理由をつけられたけれど、いまはそうじゃない。妙な緊張感からぐんにゃりしていた背筋がピンと伸びる。
それでもやっぱりタイミングおかしくない? ここって別に私たちだけが使ってるわけではないし、誰かの談笑も聞こえてくるし、誰かのソロやってるモニターもあるし、知り合いにもクラスメートにも会いやすいし。
あたりを見回してとりあえず顔見知りがいないことと、私たちの会話を聞いてそうなひとがいないことを確認して息を吐く。
「……保留」
「おや、どうして?」
「手のひらの上で転がされてる気がしていますぐに結論出したくない」
「どう転んでも変わらないのに?」
「言うなばか! 悩ませろばか!」
「心外だなあ」
私の手のひらの上でおとなしくしていた箱はおもむろに持っていかれ、彼の手で開封された。きれいに形を整えられたチョコレートが並んでいる。
「どれがほしい?」
「なに……」
「食べさせてあげる。どれがほしい?」
なに言ってんだと思いながら「全部」と答えると、彼は「わかった。これだね」と平然と一粒つまんで口もとに寄せてきた。もしかしてこれ、食べきらないと帰らせてもらえないんじゃないかという恐ろしい考えが過ぎる。
「いやさすがにどうかと思う」
「はい、口開けて」
ええい、ままよ! 使い方あってるかはわからないけれど、きっとこういう状況で使うに違いない。
しぶしぶ開けた口にぽいっとチョコレートが放り込まれた。あれ、思ってた感じと違う! でもこんな感じでいい! 正直助かった!
口の中でじんわりと溶けていく濃厚な風味に舌鼓を打つ。おいしいなあ。こんなところで雑に味わっていいものではないはずなのに。なによりもチョコレートをくれた彼自身がそれを許しているのだから、これでいいのかなと思う。
なくなったのを見計らい、また口もとに寄せられる。口を開け、放り込まれたチョコレートを味わう。学習した生き物みたいだ。
何を考えているのか、彼はうんうんと頷いている。
「飾らないきみがいい」
「?」
「どうかそのままのきみでいてね。何があっても、何もなくても」
「うん……?」
何があっても、何もなくても。人生は終わるまで続いていく。二十年も生きていない私たちは、まだ世界の仕組みのすべてを知っているわけではない。
また口もとにチョコレートを寄せられ、口を開ける。これで半分ぐらいだろうか。
「そのままの私でって褒めてる?」
「褒めてるよ」
「素直に喜べないんだけど……」
「喜ばせるために言ってないからね」
それじゃあ、なんのため? と首を傾げる。彼はなんでもないことのように「きみをひとりじめするため」と言った。
「……告白の続き?」
「ぼくは諦めが悪いんだ。知ってた?」
「知らない」
「だよね。ぼくもいま知った」
この年になっても知らない自分がいるって不思議だね、と彼は笑う。付き合っていくひとの数だけ自分の顔みたいなものがあって、そのどれもが全く同じではなくて。関係性や立場によって変化していく。私だって、知らない自分に戸惑ってるところだ。どうしたらいいのかわからなくて困っているのだ。
「明日、返事するから」
瞬くあおがゆるやかに弧を描く。
2024.02