ポニーテールを誰かが少し引っ張った。 「夏がきたなって感じるね」 「王子かー」 「これかわいい、馬の尻尾みたいで」 「ポニーテールだからね、て何回目だこのやりとり」  少し気温が高くなり湿度が上がってくると首元が蒸れるから、普段はおろしている髪を括る。そうすると野生の王子一彰が釣れた。ポニーテールなんてさして珍しくない髪型だが、一年で彼と席が前後になったときに初めてこのやりとりをして以降、なぜか毎年行われている。恒例行事みたいになってしまった。 「これやってるの私だけじゃないのにさーなんで?」 「えー、理由って要る?」 「気にはなる」 「そうだなあ……あえていうなら刷り込みかな」 「すりこみ」 「初めて目の前で揺れたものを親と思い込んでるんだよきっと」  にこやかな笑みを浮かべたまま、彼はポニーテールの先をいじる。どうやらはぐらかされたらしい。  王子とは喋る方だが、彼のことはよくわからない。近づこうとすれば距離をとられ、かと思えば近づいてくる。適度な立ち位置から動こうとしなければ、彼とは良好な関係でいられる。 「私は王子の親だったのかあ」 「だからね、ママン」  猫なで声のように甘さを含んだ王子の声が鼓膜を揺らす。こういう声音のときは大抵何かしらのお願い事をされるのだ。今日は何だろうか。 「帰りに何か冷たいものが食べたいなあ」 「稼いでるやつがたかろうとしない」 「ママンもボーダーの人間じゃないか」 「そうだけど王子とはレベチだから」 「何言ってるのさ、君もB級だろ」 「B級上位に言われたくないですね……」  今日は防衛任務だけどその前に少し時間があるから本部までの道すがらあそこに寄ろうか、なんて誰も何も了承してないのに、王子は勝手に話を進めていく。けれど彼は私がノーと言わないことを知っている。弱みを握られているとかいくつも借りがあるとか、そういうわけではないけれど。彼の望むことはなんでも叶えてあげたいなんて思ってしまうのだ。たとえそれが取るに足らない小さなことであっても。もしかしたら本当に彼の親気分になってしまっているのかもしれない。  なんて思っていると、王子がひょこっと覗き込んできた。 「ね、いいよね」 「しょうがないなあ、付き合ってあげる」 「さすがママン!」 「それまだ続くの?さすがに恥ずかしいんだけど」  冷たいものが食べたいと言った王子に連れられたのは、タピオカの店だった。 「タピオカ……?」 「そう、タピオカ。食べたことないから気になってね」  いやこの場合は飲むっていうのかな、なんてぼそりと呟いている。まさか王子からタピオカなんて言葉出てくるなんて。  各々注文をして、出来上がったカップを受け取る。王子とタピオカ。似合わない。似合わなすぎて皆に見せびらかしたい。気づけばカメラを起動して彼を写真におさめていた。シャッター音に気づいた王子が眉をひそめてこちらを見おろす。 「盗撮はよくないよ」 「ごめん、消すね。代わりにカメラ目線ちょうだい」 「君の頼みだ、しょうがない」  なんて言いながら、ばっちりキメる王子。さすがである。それを18歳組ラインに流した。速攻でついた既読一。ぽこんと増えたメッセージは柚宇ちゃんからだった。「わたしも行きた〜い」に「また今度行こうね」と返す。 「それ抹茶オレベースだよね」 「そういう王子は紅茶ベースだよね」 「うん。ね、ひとくちほしいな」 「えーどうしよっかなー」 「おねがい」 「しょうがないなあ」  カップを交換してひとくちもらう。ついでにタピオカも数個ほど吸い込んでしまった。もらいすぎたかも、ごめんね、と言いながらカップを返す。  返ってきたカップのストローの先、王子の少しだけ噛んだであろう歯型。間接キスだなあなんて思いながらも口には出さない。きっと彼はそういうのを好ましく思わないから。 「今日は個人ランク戦しないの?」 「そうだなあ、もう少しで銃手のトリガーが六千いくから頑張ろうかな」 「ふぅん」 「わあ、どうでもよさそう」  飲み残したタピオカと戦っていると、王子が突然顔を上げた。その表情はさも名案が浮かんだかのように明るいものだが、私は嫌な予感しかしない。彼はきらきらした目でこちらを見た。 「じゃあ、ぼくと戦ろう」 「何がじゃあかわかんないけどやだ!ポイント取られる!こればっかりはおねがいされてもやらないからね」 「ぼくのおねがいなのに?」  王子はこてんと首を傾げる。彼はずるい。私が彼にノーと言えないことも、きっとおねがいを叶えてあげたいと思っていることも知っている。知っていて、日常的におねがいをしてくるのだ。――これは駆け引きなんかではない。ぜんぶ全部、私のわがままだ。 「あはは!そんな顔しないで。ごめんね、いじわるしちゃった」 「王子のばか。嫌いになるよ」 「君に嫌われるのは堪えるなあ」  本気か冗談か、彼のことがわからない。けれどきっと王子は、私が彼を嫌うことはないとわかっているのだろう。  先を歩く王子の隣に小走りで並ぶ。ポニーテールが揺れて項をくすぐった。この場所を許されている間は彼の良き話し相手であろう。彼がこちらに踏み込んでこない間は私も踏み込まないでいよう。  本当の臆病者はどちらなのだろうか。 2021.05