「私は何バカだと思う?」
弾バカもとい出水と槍バカもとい米屋に聞いてみた。
同じクラスの彼らはボーダーでA級に属するほど強いのだが、誰が言い出したのかまとめてA級三バカと呼ばれている。この場合のバカはジャンキーのほうの意味だ。ちなみにもう一人のバカは迅さんバカの駿。
出水と米屋は互いに顔を見合わせると「アレだろ」「アレしかねーよな」と言葉を交わす。
「隠岐バカ」
二人が声を合わせてそう言った。
「ふふん、まあね」
「なんで得意げなんだよ」
「バカにしてるのわかれよバカ」
「チッチッチ」
「腹立つなーそれ」
「隠岐くんの良さを世に布教してるだけですから。バカというよりもはや宣教師、世界平和のためにやらねばならぬことなのですよ」
「やっぱバカじゃん」
「シャラップ槍バカ!」
おもむろに机の上に出ていた現国の教科書を手に取る。適当にページを捲り「イコマによる福音書、六章三十節。彼らはコウジに言った――」と、さながら聖書を朗読するかのように隠岐くんをたたえる言葉を並べていく。
頬杖をついて呆れたようにこちらを見ていた米屋の視線がふいに少し上に動き、あ、と小さな音を発した。と同時に頭に軽い衝撃が走る。振り返ると手刀を携え困ったような表情で立つ隠岐くんがいた。先ほどの衝撃は彼にチョップされたものだったらしい。
「隠岐くん」
「うそだろ、声のトーン変わったぞ?!」
「いつものことだから慣れろよ」
出水と米屋が何か言っているが眼中になく、隠岐くんを見上げて「どうしたの?」なんてわざとらしく言ってみる。
「でっかい声で恥ずかしい話せんといてえな」
「照れてる?隠岐くん照れてます?」
「照れてる言うたらやめるん?」
「やめない」
「いけず」
いけずいただきましたー!と言いながら二バカに視線を戻すと、出水が何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「お前らさぁ」
そう言って私と隠岐くんを交互に見ると「何なの?」と聞いてきた。
「さっきの例えでいうと、神とその宣教師。ね?」
「もうずっとこの調子。手に負えんわ」
隠岐くんは肩をすくめてやれやれといった仕草をする。そして流れるような動作で近くから椅子を持ってくると、隣に座った。
「やれやれじゃねーだろ」
「なにが手に負えん〜だよ」
二人してツッコミをいれているが、隠岐くんはどこ吹く風といった具合だ。「で、何の話してたん?」と隠岐くんがたずねると、「こいつが隠岐バカって話」と出水が私を指差した。その指を聖書もとい教科書で叩き落とす。
「隠岐バカねえ」
「オッキー、どした?」
「まあ見ててみ」
隠岐くんは私が持っていた教科書を取り上げて机に戻した。その動きを追ったあと彼に視線を戻すとばちりと目が合う。彼は私の空いた片手に手を滑り込ませて、小首を傾げる。もさもさの黒髪が動きに合わせてふわりと揺れた。そうして。
「今日一緒に帰ろ?」
世界が止まった気がした。
いや、実際は何も止まっていない。放課後の喧騒も、彼らの呼吸も、私の手をにぎにぎする隠岐くんの手も。私だけが動きを止めた。辛うじて唇からこぼれ落ちたのは「……小悪魔では?」という言葉だけ。
「こいつ自分で神とか何とか言ってたくせに」
「ヤベーな、フルアタックじゃん」
生きてるか?と出水に肩を叩かれて世界が、私が動き出す。隠岐くんの涼やかな目がこちらを覗き込んでいた。
「……今日は、防衛任務のためボーダーですが……」
「あらら、しくったわ。ほなおれも寄ろかな、一緒に行こ」
「はい」
「急に大人しなるやん、どうしたん?」
「きゅん通り越してぎゅんてしたので……」
誰かをからかうことはあっても、からかわれるのは慣れてない。それも隠岐くんみたいに心の隙間を潜り抜けて的のど真ん中を撃ち抜いてくるような、そんなのには耐性がない。
彼は笑いながらするりと手を離す。立ち上がると座っていた椅子を戻し、私の鞄を持って「先靴箱のとこ行ってるわ。ほなね」とすたすた行ってしまった。
その背を見送り、出水がぽつりと呟く。
「なあ、おれら何を見せられたわけ?」
「慣れろ。オッキーもバカだって話だよ」
な?と米屋がこちらを見る。私はというと、じわじわと顔に熱が集まっているところだった。
「隠岐くんはバカじゃないから」
「いいからはよ行け隠岐バカ」
「またあとでな隠岐バカ」
「バカバカ言うな二バカ!覚えてろよ!」
はやしたててくる二人に捨て台詞を残して教室を飛び出した。すっかり見えなくなった隠岐くんの背を追いかける足取りは軽やかだったに違いない。廊下は走らないなんて貼り紙、今だけは見なかったことにしてほしい。
2021.05