真っ白なあなたに触れたい。
◇
第一印象は柔らかい雰囲気の男の子、だった。
以前から知り合いで大学の後輩でもある生駒達人率いる生駒隊のひとり、隠岐孝二。弟妹ほどの年の差の彼は、年齢のわりに落ち着いて見えた。私がこのくらいのときは消しゴムが床を跳ね回るだけで大爆笑したのだが、彼はそんなことは絶対にしなさそうだ。
「どうも隠岐です。狙撃手してます」
サンバイザーからのぞく涼やかな目元、柔らかな声音。こんな後輩がいるなんて生駒隊が羨ましい。隊にはあと三人も後輩がいるのだとか。仲良くなれたらいいなあと思う。
「ご丁寧にどうも、生駒達人の先輩してます。攻撃手見習いです。趣味は太刀川を真っ二つにするべく研鑽することです」
「へえ、攻撃手」
「です。よろしくね」
すると達人が隠岐くんに近づき、何かを耳打ちしようとした。聞こえないようこそこそしているのだろうが、達人は隠し事が下手だから全部ばっちり聞こえていた。
「聞いた?この人、見習いとか言うてるけど太刀川さん真っ二つにできる人やねん。それがどういうことかわかるか?」
「めっちゃ強いのとちゃいますか」
「あんな、絶対怒らせたらあかん」
私のことをよく知らない子に何を吹き込んでいるのか。いい感じの年上のお姉さん感が台無しになってしまう。
イラッとしたので「模擬戦行くぞコラ」と、達人の腕を掴んで引っ張った。
「イタタ、やめて、ちょ、ごごごめんやん」
「問答無用。弧月の錆にしてくれる」
「隠岐くん隠岐くん、良い子やから錆にされそうなイコさんを助けて?な?」
呼ばれた隠岐くんは目を瞬かせる。そして達人と私の顔を交互に見たあと「あはは!」と大きな声で笑った。珍しいことなのか、達人がはわはわしながら何か悪いもんでも食べた?などと言っている。
「二人とも仲ええなーと思っただけです。付き合うてはるんですか?」
鏡を見なくても自分の眉間に皺が寄ったのがわかる。
この手の話題は今までも飽きるほど投げかけられた。多感な高校生である彼のことだから、とくに意味はなくただ思ったことを思ったまま口にしたのだろう。そういうところはまだまだ子どもだ。
「私そういう質問嫌い」
「あらら、すんません」
「達人とは流派は違うけど居合い関係で他の人よりずっと前から知り合いってだけ。どう、満足した?面白くもなんともないでしょ」
「まあ、そうですね」
「人間が二人いれば何通りもの関係性がある。素直なのはいいけど、今後はもう少し配慮するようにね」
はあ、と気の抜けたような返事をする隠岐くんに、ちょっと噛み付きすぎたかもしれないと思う。世間話程度のノリのものにこんなに過敏になる必要はない。わかっている、こういうところが私のダメなところで、付き合ってられないと言われてきた理由なのだと。
きっと永遠の議題であろう「男女の友情は成立するか否か」。私は成立すると思っている。それは昔も今も変わらない。だから仲良くしてるだけで付き合ってるのかどうかを聞かれたり、付き合ってもないのに狙っているからと牽制されたりするのは、不愉快だった。その結果、嫉妬からか何なのか、身に覚えのない陰口を叩かれるのはもっと気分が悪い。もし相手がボーダーの人間だったら模擬戦でメッタ斬りにしてるところだった。
そんなわけで私はこの手の話題が嫌いだった。たとえ第一印象が良くても、それを言われるだけでこの人はそういうことを考える人なんだなと思ってしまって、その後はずっとそれが脳裏をチラつくのだ。
ふいに服をついと引っ張られる。
「先輩、気持ちわかるけど隠岐は高校生やで。勘弁したって」
「うん、言い方キツかったね、ごめんなさい」
「気にしてませんよ。先輩のことちょっと知れたんで儲けもんですわ」
今度は私が気の抜けたような返事をする番だった。隠岐くんは目を細めながらこちらを見ている。その目に宿っているものは何だろう。彼が本当のところは何を思っているのか、私にはわからない。
◇
人もまばらなボーダーの食堂。たまに利用するのだが、今日は太刀川を待ちながらひとりでご飯を食べていた。すると影が落ちてきて。
「ご一緒してもええですか?」
訛りのある気だるげな声。そこにいたのはトレーを持った隠岐くんだった。太刀川を待っているとはいえ約束をしたわけではなく、彼が来るのを待ち伏せているに近い。そのため私に断る理由はなく、どうぞと返事をした。
先日の件で少し気まずい気持ちが拭えない。きっと彼だってそうだ。顔見知り程度なのにわざわざ同席するなんて、何を考えているのだろうか。
しばらく無言が続く。
食べ終わって手を合わせていたらふと視線を感じた。ちらりと目線を上げると隠岐くんが頬杖をついてこちらを見ている。
「こないだからしばらく、先輩のこと見てました」
口火を切ったのは彼だった。
「そんでイコさんからちょっと事情聞きました。女子って大変ですね」
「ひとごとだね」
「ひとごとやもん」
で、気づいたんですけど、と彼は続けた。
「先輩みたいなんも悪くないと思いますよ、おれは。ずっとオトモダチでおれるってええことやし。ただ勘違いする男はおるでしょうね、今までにもおったんとちゃいますか」
「……何が言いたい?」
「いくら理性ある言うたかて男は男でしかない。穴があったら突っ込みたくなるもんなんですよ」
「……その話不快なんだけど、まだ続く?」
まあとりあえず最後まで聞いてください、と彼は言う。
「先輩が仲良しさんやと思ってやってること全部、男にしたら理性千切れる五秒前なんですよ。それが女子から見たら誑かしてるように見えるんでしょうね」
「私が悪いって言いたいわけ?今までのこと全部、私のせいだと?」
「じゃあ先輩、」
隠岐くんががたりと立ち上がる。そしてテーブルを回り込んで距離を詰めてきた。
「試してみます?」
隣に座る。肩が、腕が、太ももが触れる。背中に手を回す。肩を組んでゼロ距離になる。顔が近づく。毛先が触れ合う。かぎなれないにおい、頬をくすぐる吐息――。
突然、心臓が皮膚を突き破って出てきそうなくらいに大きく脈打つ。だんだん体も顔もあつくなってきた。なんだこれ、こんなの知らない。
「先輩のまねししてみました」
たしかにしたことがある。密着するほど近くに座ったことも、相手の背や肩に触れたこともある。けれど、けれどそのときはこんなのにならなかった。
どうです?なんて、囁くように言われる。掠れた声が鼓膜を揺らし、そして何かが体の内からわきおこる感覚があった。止められない、止まらないそれはむくむくと膨らんでいく。自分のことなのに制御できず、何が起きているのかもわからず、混乱してきてじわりと涙が滲む。
「あらら、泣かせるつもりやなかったんですけど」
「なに、これ、」
「今まで大事に大事にされてきたんやねぇ」
どろりとした甘さを孕む隠岐くんの声が、鈍くなってきた思考回路をさらにだめにしていく。顔真っ赤になってもうてかわええなあ、黙っててもなんもわからへんよ、素直でええ子なんはそっちやね。
「先輩、知ったはります?」
それ、興奮してるって言うんですよ。
肩に回された腕が顎をとらえ、いたずらに撫でさする。隠岐孝二が、男に見えた瞬間だった。
◇
後日、大学で達人を呼び出し、めちゃくちゃ泣きついた。
「も〜〜〜〜あの泣きぼくろ何!?最近の若い子どうなってんの!?」
「えっ待って待って、泣きぼくろ?誰?跡部様?」
「ちゃうわ!隠岐くん!」
あのあと隠岐くんは「ほな、防衛任務あるんで」と、真っ赤なまま動けなくなった私を放置してさっさと行ってしまった。ひとりになってしばらく、やっと冷静さを取り戻した頃にはまばらだった食堂は喧騒に包まれていた。あれは何。思い返すとじわりとあの感覚が戻ってきそうになって、違う違うと頭を振る。なぜ真似をされたのか。しかし妙に手慣れていた気がする。もしやからかわれたのではと思い至った。年上をあんなからかい方するなんて度胸ありすぎる。え、最近の高校生こわ。生駒隊の風紀はどうなってるのか。生駒隊長なんとかして!
食堂であったことを身振り手振りで達人に伝えた。彼は「ふんふん」「ほうほう」「マジで?」と聞いてるのか聞いてないのかよくわからない相づちを打つ。そして神妙な面持ちで頷いた。
「なるほどな」
「あいつマジで何?私のこと嫌いなの?」
「初っ端が良くなかったのはあるやろな。だからってそんな、こう、試すようなことするとは」
「今の高校生こわすぎ」
「そんななんぼも離れてへんやん」
「一年と二年は大違いですが?」
いやでもなー、と達人が顎に手をあて何かを言い淀んだ。
「何」
「いやな、ぶっちゃけどうなん隠岐のこと」
「さっきの話聞いてました?」
私は隠岐くんにされたことを報告しているのだ。隠岐くんをどう思っているかは関係ない。
「どうなんも何も、次会ったときどんな顔したらいいのかわからないんだけど」
「ええんちゃうん、あいつイケメンやし」
「私の話聞いてる?」
「高校でもめっっちゃモテるんやろうなあ、ええなあ」
「よしわかった。道場行くぞ。組太刀やろう、お前打太刀な」
「えっイケメン嫌なん?」
「そんなまじまじ人の顔見てないし。泣きぼくろの記憶しかない。まあ整ってるような感じはしたけど」
「あいつめっちゃイケメンやで、先輩もイチコロやったんちゃうん」
「人をチョロいみたいに言うな」
「で、実際どうなん」
「どうもこうもないって、普通に恥ずかしい」
「それ、意識してるってこと?」
キャッと言いながら達人が体をくねらせる。そして何かを閃いたかのように親指を立ててキメ顔をかましてきた。
「いつでも頼ってええで、恋のキューピッドやるさかい」
「いらんわ」
◇
時は少し遡る。
食堂での一件後、防衛任務前の待機中、生駒隊にて。
「やってもうた……」
隠岐孝二は頭を抱えていた。
ランク戦同様、防衛任務前でも細かな打ち合わせはほとんどなく、今日もただのだべりタイムになるはずだった。隠岐が入室するまでは。
珍しく肩を落としながらとぼとぼ入ってきた隠岐に、水上が声をかける。
「どないしたん、この世の終わりみたいな顔して」
「やってもうた……」
「何を?」
「なんか、こう、あかん感じのこと……」
いやそれ何もわからへんから、と細井が突っ込む。
「犯罪じゃなかったら何でも大丈夫じゃないっすか?」
「海のあほ、極論すぎや」
「でもマリオ先輩、隠岐先輩なら許されますよきっと!」
「もうあんたは黙っとき!」
いつもの光景に少しほっとしながらも隠岐の顔は強張ったままだった。これから防衛任務やのにその調子のままやと困るな、と水上は思う。こんな程度で生駒隊は揺らがないだろうが、潰せる懸念は潰しておきたい。
「で、何したん?」
「イコさんのお知り合いのあの先輩、食堂で見かけたんで一緒したんですけど」
「ふんふん」
「先輩の気にしてること解決できたらなって思って話してたら、なんかあの、カッとなって」
「ほうほう」
「先輩泣かせてしまいました……」
「よしわかった、謝りに行こか」
がたりと立ち上がった水上に、今は無理!と隠岐が首を振る。南沢が無邪気に「無理って何でですか?」と聞いた。隠岐は目をあちこちに泳がせて言い淀む。言葉を探しているようだった。立ち上がった水上は座り直す。
「まず大前提として、下心はほとんどなかったんです」
「ふーん、ほとんどねぇ」
「そこ突っ込まんといてくださいよ。で、先輩ちょっと距離感おかしいなって思ったから先輩がやってたの全部やってみたんです、された相手の気持ちになってみてほしくて」
「あの人距離近いわりに潔癖やしな」
「そしたらめちゃくちゃかわいい反応返ってきて、なんかぐわっときて、止まらんようなって、」
「ちゅーしたんですか!?」
「してへんわ!!」
南沢にからかわれる隠岐という珍しい図。そして「どんな顔して会ったらいいんかわからへんくて」と、真っ赤な隠岐もまた珍しかった。こいつにこんなとこあったんやなという気持ちと、俺ら何聞かされてるんやろという気持ちが混ざり合って、水上の口からは気の抜けた「さよかー」しか出てこなかった。たしかに懸念は潰したいと思ったが、これは正直どうでもいい。勝手によろしくやってろや。
「ですって、イコさん」
「ん?俺?」
これまた珍しく聞きに徹していた生駒に、水上は全部放り投げた。
「かわいい後輩をなんとかしたってくださいよ」
「あいつなー」
それなりに付き合いが長いとはいえ、関西にいた生駒は彼女のことをあまりよく知らない。中学の頃の稽古会で出会った年の近い子がたまたま彼女だっただけだ。もともとそのきらいはあったが、決定的になったのは高校生のときに起きたいざこざだったとあとで聞いた。思春期にありがちな「この子が誰々を好きだから近づくな」というようなことを女子に呼び出され何度か言われたらしい。そうは言っても友達は友達、何も悪いことはしていないと、反論し続けていると今度はあらぬ噂を流された。全学年にセフレがいるだの誰とでもやるビッチだの。一時期ひどく病んだらしいが、見かねた親にボーダーをすすめられ入隊、あれよあれよという間に個人ランクを駆け上がっていった。そしてスカウトされて入隊していた生駒と再会したのだ。元気になってからは人間関係、とくに男女に関しては潔癖になった。
「隠岐やったら大丈夫やろ、イケメンやし」
「えっと、何がです?」
「あいつのことよろしく頼むわ」
「イコさん……」
「それにしても三歳差か。やるな、隠岐」
「もーイコさん!」
そろそろ出動やで、気ぃ引き締めや!と細井が声を掛ける。各々返事をして立ち上がった。そんななか、生駒が隠岐の肩をちょんと突いた。
「でもな、泣かしたことは謝らなあかんで。早めにな」
「、はい」
「いつでもキューピッドなったるさかい、当たって砕けてきぃや」
横で聞いていた水上が「いや砕けたらあかんでしょ」と小さくツッコミを入れる。強張っていた隠岐の表情がようやっと緩んだ。
◇
達人に泣きついたときに言われた言葉が引っかかっている。
ボーダーで再会したあと、彼には高校のときの話を軽くしたことはある。あれが嫌だとかこれが無理だとかを言葉にしていないが、達人はそのあたりを汲み取り避けてくれている。だから不用意にそういった話題に言及することはなく、ましてや特定の人物を推してくることはなかったのだが。あのときはなんだかいつもの達人らしくなかった。――意識してるって、つまりどういうこと?
模擬戦にて、十本勝負、七本目。
ふと「相談したいことがあるんだけど」と、対戦相手である太刀川に言った。彼はきょとんとしたあと小首を傾げた。
「悩みごとか?」
「うん、まあ」
「だよな!今日のお前、全然面白くない!まあ俺は優しいからな、聞くだけ聞いてやるよ」
話してみろ、と太刀川が弧月を納めたのを見て私も納める。そして先日の件から始まり、達人に言われたことまで一連の出来事を話した。
A級一位太刀川隊隊長、太刀川慶。模擬戦で憂さ晴らししながらポイントを荒稼ぎしているときに、声をかけられたのが彼との出会いだった。当時はまだ太刀川隊は結成前だったと思う。曰く「面白そうなやつがいたから戦ってみたかった」とのこと。そのときは少しだけ、本当に少しだけ調子に乗っていた時期だったので、太刀川に負けてめちゃくちゃキレた。必ず、かの胡散臭い餅野郎を倒さねばならぬと決意したほどだ。その後同い年で大学も同じだと知った。戯れに模擬戦に付き合わせたり付き合わせられたり、レポートの締切前に尻叩きをしたり試験を助けたりしてるうちに普通に仲良くなって今に至る。雑談しながらの模擬戦は日常茶飯事だ。
「意識してるのではって言われて……それってつまりどういうことだと思う?」
「はぁ〜〜〜〜」
「なにその溜め息」
「いや、お前にもやっと春っぽいのが来たのかと思うと感慨深くて」
「言い方。おじさんくさ」
「あれだろ、そのオキクンのことが男として気になりだしてるってことだろ」
「そう、なの?」
「だってほら、俺が近づいても触ってもお前反応してくれないのに、オキクンのときはそうじゃなかったんだろ?」
そう言いながら太刀川は私の腰に腕を回して体を引き寄せ、鼻先が触れそうなほどに近づいてきた。弧月の柄と柄がぶつかり、こんと軽い音を立てる。こちらを見下ろす目は、相変わらず何を考えているのかわからない。
太刀川は突然興が乗ったのか、腰を支えたままもう片方の手で私の手を取ると、その場でくるくると回り始めた。
「なに踊ってんの……」
「ん〜なんとなく」
「私がスコーピオンセットしてたらお腹から出して串刺しにしてるとこだった……」
「狂ってるな」
「太刀川に言われたくない」
でもちょっと興味あるから今度やってみてくれよ、なんて言い出す太刀川にドン引きした。
「で、実際どうなのよ」
「わからないんだよね、ほんとに」
「お前はどうなの、嫌だったとか嬉しかったとか」
「……嫌では、なかった。泣いちゃったのも混乱したからだし。心臓がうるさくて、顔があつくて、何も考えられなかった、気がする」
「それはもう好きってことなんじゃねえのか?」
「そうなの?」
「さあな、俺も知らん」
戦ってばかりいた。近界民、トリオン兵、そして言葉にできない生きづらさや煩わしさといった見えないものと戦ってばかりいた。誰かに心を揺さぶられたことなんて、なかったかもしれない。あんなふうに、心臓が胸を突き破って出てきそうなほどに。じわじわと頬に熱が集まるような感覚がして、思わず太刀川を突き飛ばし頬を押さえた。
「はは、顔真っ赤」
「うるさい」
「いいねえ、青春って感じで」
「おじさんくさいってば」
あと四本あるけど、どうする?と聞かれ、口角を上げる。やらないわけがない。
「負けたほうが奢りな」
「言ってろ」
弧月に手をかける。太刀川は構えるどころか両手をひらひらさせていた。舐められすぎて癇にさわる。私だって普段は本物の刀を扱っているのだ、抜き打つ速さはそれなりだと自負している。今日はもう絶対に真っ二つにしてやると心に決め、静かに鯉口を切った。
「あ"〜〜クソ川まじ許さん」
「ごちになりまーす」
結局あのあと、太刀川を真っ二つにできたのは最後の一本だけで、あとは逆に真っ二つどころか三枚におろされた。この男、容赦がない。そして負けたのでラーメンを奢らされるはめになった。
「トッピング追加していい?」
「好きにすれば」
「やった」
人の金で食う飯は格別だな、なんて言いながら太刀川はトッピングを増やしていく。何を言ってるんだか、私より稼いでるくせに。
ふと隠岐くんはこういうところに来なさそうだなと思った。行くとしたらどこに行くんだろう、ファミレスとかかな。と、隠岐くんのことを考えている自分に気がつき、思わずカウンターに頭突きする。びっくりした太刀川が「えっ、何?金欠?」と聞いてきた。
「ちがう」
「じゃあとうとうイカれたか」
「……イカれたかも。最近隠岐くんのことばっかり考えてて、今まで誰にもこんなことなかったのに、振り回されてる感じするし、そう考えてしまう自分がキモすぎる」
「重症だな」
出来上がったラーメンを啜りながら太刀川が言う。
「それが恋ってやつじゃねえの」
「太刀川に恋って言葉似合わないね」
「茶化すなばーか。オキクンに振り回されてる現状が既に向こうの思う壺だろうが。いい加減素直になれよ」
「……わからないって、こわいね」
「きっとすぐにわかる」
伸びるぞ、と言われてあわててラーメンに手を付けた。
◇
達人に呼ばれて生駒隊の隊室に遊びに行くと、隠岐くんがいた。隠岐くんだけがいた。彼はがたんと立ち上がるとわたわたし始める。今日の私は冴え渡っており、これが達人によって仕組まれたものである可能性を秒で弾き出した。ここで隠岐くんを無視して立ち去るのはさすがに露骨すぎる。挨拶だけして出直そうと思ったのだが。
「達人は?」
「イコさんは、まだ」
「あいつ呼び出しておきながら放置とか――」
「あの!先輩!……今日は、おれがイコさんに頼んで呼んでもらいました。ちょっと話す時間が欲しいって言うたんです」
まさかの隠岐くんのしわざ。危うく達人に濡れ衣を着せてしまうところだった。お時間ありますかと聞いてきた彼に、太刀川斬る以外にやることないから大丈夫だと返す。すると隠岐くんの表情が少し曇った。
「その、太刀川さんなんですが。先日の先輩との模擬戦、見てました」
「うわ恥ずかし、ボロ負けしたやつじゃん」
「あのとき、途中で何か話し込んでましたけど……何を話してはったんですか?」
「えーと、何だっけなー」
隠岐くん相手に隠岐くんの話してました、なんて言えない。それもあなたへの好意に気づいたかもしれないだなんて。すっとぼけていると、隠岐くんの眉間に皺が寄った。
「戦ってるはずやのに妙に近いし、なんかくるくる回ってたし」
「あれか……あれは太刀川が勝手に――」
「正直、嫉妬しました」
隠岐くんが一歩踏み出す。
「おれ、あの日からなんとなく避けられてるんわかってましたよ。なんであの人は良くて、おれはあかんのですか。――なぁ、何話してはったんですか」
彼がもう一歩、踏み出す。核心に迫られそうな、すべてを暴かれそうな。隠岐くんの目がこわい。私の知らない感情を乗せるその目が、こわい。知らない私を引きずり出しそうな彼が、こわい。
「……それ、隠岐くんには関係なくない?」
だから私は、逃げようとした。
「私と太刀川は友達だよ。友達と何を話してても、それって隠岐くんには関係ないよね?」
「あります」
また一歩、彼が近づく。
「先日はすみませんでした。もう貴女の嫌がることも、勝手に貴女に触れることもしません」
また一歩。隠岐くんは、逃してくれない。そうして、彼は蚊の鳴くような声で「好きなんです」と言った。
「好きやから、貴女に触れたいし、誰かと話しとったら気になるんです。それがたとえ友達やとしても、男だったら気になってまうんです。言うたやないですか、太刀川さんも男ですよ」
今、ここで。それを言うのはずるい。
全部思い出してしまう。触れ合う肌のあつさも、吐息も、膨らんでいく何かも。隠岐くんを、男として見てしまう。きっともう、知らなかった頃には戻れない。
「……私、わからない。今まで戦ってばかりだったから、よくわからなくてこわい。わからないってこわいよ、ねえ、隠岐くん、助けてくれる?全部、教えてくれる?」
「貴女が望むならなんぼでも助けます、教えます」
「そっか。……ありがと」
隠岐くんが手を伸ばし、ゆっくりと私に触れる。今度は逃げなかった。そのまま近づいてきて、彼の香りに包まれる。じわりじわり、思い出して隠岐くんに縋りつく。彼は以前この状態を興奮しているのだと言った。私は今、そうなのだろうか。
顔を持ち上げられ、視線が交わる。涼やかなはずの目元はぎらぎらしていて、初めて見るその表情に体の奥があつくなる。力が抜けていく。
「あらら、とろとろになってもうてるやん」
「隠岐くんの、せいだから」
「うん、おれのせい。ぜぇんぶおれのせい」
隠岐くんの心地良い声が鼓膜を甘く揺らす。耳元で囁かれて頭がふわふわする。
一欠片だけ残った理性が隊室に誰かが入って来こようとしていることに気づいた。きっと達人だ。彼だけじゃない、隊のみんながいるかもしれない。こんなところを見られたら。隠岐くんを押し退けようとしたが、彼はちらりとドアに視線を動かすとまたすぐに私を見る。何を思ったのか、彼はサンバイザーのツバを隊室の入口側にぐいと傾けた。向こうからこちらが見えにくいように。
「残念、タイムオーバーや」
隠岐くんが至近距離で微笑む。そうして唇にやわらかなものが触れたのとドアが開いたのは、ほぼ同時だった。
2021.05