高校でできた友だちがいつの間にか「流川親衛隊」として活動していた。放課後誘うと「応援してくる!」、土日の予定をきくと「試合あるから応援行ってくる!」。  もともと活動的な子だけど、さらにアクティブになった。何かを一生懸命がんばるひとは魅力的に見える。そんな彼女に誘われて、端のほうで観ている自分は何なんだろうと思う。誘われたから――だなんて、理由をつけなければ応援ひとつできない自分は何なんだろう。    流川楓とは小中が一緒だった。  彼は小学生の頃から黄色い声援が飛んでいたし、クラスメートがドッジボールをしてるときも彼だけはバスケットボールを手放さなかった。流川自身はどこ吹く風、というか周りの声なんてたぶんほとんど聞いてなくて、それだけ夢中だったんだと思う。そのさまはまるでバスケットに取り憑かれているようで。幼い私はこわいと思ったことを覚えている。自分にはない熱量で生きるその存在。飢えと渇きをみたすように、ただひたすら歩みを止めない流川楓が。  私は彼を知っているけれど、彼はおそらく私を知らない。何度か同じクラスになっているものの、彼はクラスメートに興味はなかった。私だけでなく、上級生下級生に対しても同様。学校の外で名前を呼ばれたときの「誰だてめー」を何度か耳にしたことがある。そもそもバスケ部のひと以外とは会話するところを見なかった。終始そんな様子だと男子の中でも仲間外れとかがありそうなものだが、そんなものは一切なく。というより、その隙がなかった。どんどん伸びていく身長、筋肉がついていく体、長くなる手足、大きな手のひら。ただひたすらに己を研ぎ澄ます孤高の生き物。彼はその生き様でもって周囲を黙らせた。  おそろしくも惹きつけられ、気がつけば彼の姿を追っている自分がいて。自覚したときには文字通り頭を抱えた。そしてきっと、それは私だけじゃなかったと思う。高校までは親衛隊こそなかったものの見守るひとたちはいたし、じわじわ増えていったのも知っている。  最初は純粋に応援していたのに、だんだん邪な何かが湧いて、溢れそうになって、それで。何も見えないふりをした。何かしらの理由をつけなければ観に行けなくなったのもこの頃の話。    ――一際大きな歓声が上がる。  流川がダンクシュートを決めた。高校で誰も彼もがしないあたり、このシュートは難しいものなのだと素人ながら理解できる。  すごいなあと小さく拍手を送った。親衛隊の応援にも熱が入ろうとしたとき、体育館に響き渡る「ルカワ――――!!」がすべてをかき消した。  声だけでわかる。桜木花道。バスケを始めたばかりのひと。彼は毎日のように流川に突っかかるが、流川はさらりと流していく。流せていないときもある。親衛隊のブーイング。そしてバスケ部の先輩たちが参戦。ワチャワチャ。いつもの光景。  なんだかんだで私も親衛隊並みに流川、だけでなくバスケ部を観ているなあとこれまた頭を抱える。知ってか知らずか、毎回のように誘ってくれる友人には感謝半分、誘われると断れないし断りたくないからいっそのこと逃げ道を断ってほしい気持ちが半分。  何をしてるんだろう。何がしたいんだろう。何にもなれないのに。何もできないのに。  応援すら満足にできない自分が嫌になる。そうして逃げるように距離を置いてしまった。魅力的な友人から。活気のある体育館から。一等星のような流川楓から。    自分に対するもやもやをどうすることもできず、不完全燃焼のまま爆発してしまう前に発散先をと考えた結果、朝にちょっとだけ早起きしてランニングを始めてみた。  これが結構性に合っていたらしい。私の場合、ランニング中に自分のことを考えなくてすむから、良い時間の過ごし方だと思った。すれ違うひとたち、どこかへ走っていく野良猫、道端できらきらと輝く朝露。毎日同じだったり、違っていたり。視界に入るひとやもので思考が埋め尽くされていく。  たまにはいいかもと、海沿いに抜けて走ってみる。潮風が吹きつけて不思議な心地よさがあった。  ふと立ち止まって海を眺める。遠くで魚が跳ねるのが見えた。朝の澄んだ空気のおかげで晴れやかな気分になる。そういえば私、何に悩んでたんだっけ。 「あ」  突然声が聞こえて「え?」と振り返った先には、ロードバイクに跨る流川楓がいた。黒曜の瞳と視線がぶつかる。その瞬間、すべてを思い出した。濁流のように溢れてくる。のどの奥のざらりとした感触。早鐘を打つ心臓。それらを悟られまいと背筋を伸ばす。 「る……かわ、」 「ここ」 「?」 「いつも走ってんのか」 「あ、最近。最近走り出した。今日はたまたまここに」  ふうん、と答えたあと無言になる。おそらくお互いに世間話というものがあまり得意ではない。それよりもだ。ぬるっと会話が始まってしまい、普通に返事をしたがよく考えたらこれってもしかして私が誰だかわかってるってことなのでは?  あわててボサボサの髪を撫でつけ、汗でべったりしている顔面や首をぬぐった。大変いまさらだがしないよりはるかにましだと言い聞かせる。様子のおかしい私に気づいたのか流川は「何してる?」と首を傾げる。本当はこんな姿見せられない、とは言えない。その場は笑ってごまかしておいた。  それより、と続ける。 「よく気づいたね。後ろ向いてたのに」 「まあ。こんなときから知ってるし」  こんな、と流川は腰よりも下に手をかざした。たしかに付き合いだけでいえばそのくらいの背丈の頃からだから十年前後になる。生きてきた時間の半分以上だ。普通なら「だよねー」と笑い飛ばせる。でも相手はあの流川だぜ? と脳内の私が叫ぶ。 「……喋った記憶ないから知らないと思ってた」 「そーか?」 「そう。だからびっくりしてる」  だんだんと気持ちが落ち着いてきた。うるさかった心臓もゆるやかに拍動している。いまなら冗談とかも言えるかもしれない。言わないけど。 「さすがに付き合い長けりゃわかる、どあほう」 「ど、!?」  いま、少しだけくちもとがゆるんだような。もしかして笑った? ていうか、なにいまの。  次の瞬間には流川はもうこっちのことなんて見ていなかった。その目にはバスケしか映ってなくて、バスケのことしか考えてなくて。でもそんな流川楓が魅力的で、強い輝きを放っていて、だからこそ応援したり見守ったりしたくて。何にも、誰にもおかされない、そのままのあなたでいてほしくて。  あーあ、と思う。あーあ、私は臆病なのかなあ。それともこじらせてるのかなあ。それとも、そういうのとはまた別の何かなのかなあ。絡み合った糸が解けていくような感覚だった。 「じゃあ、また」  そう言ってペダルを踏みかけた流川を呼び止めた。双眸がふたたび私を映す。 「試合……とか、試合じゃなくても、その、観に行っていい?」 「好きにすれば」  私としてはかなり緊張しながら、震えそうになる声をごまかしながらたずねたのに、流川はさらっと答えた。なぜわざわざそんなことを? と言いたげな顔をして。 「いつもいるだろ」 「へ、あ……!?」  穴という穴から冷や汗が吹き出た、気がした。  そうか、そうだ、ということは私が親衛隊からちょっと離れたとこでぼんやり観てるのとか、ときおり拍手してるのとか、笑ってるのとか、もしかしたら全部把握されてるかもしれないってことだ。さすがにそれは自惚れがすぎるか、でもあり得ないことではないとさっきわかった。だから、へたすると誰を観ているのかとかも気づいているのかもしれない。 「誰の許可もいらねー。邪魔しなければなんでもいい」 「そっか、そうだね」 「そーだ」  今日、放課後。流川を、彼らを観に行こうと思った。 「試合でも練習でも流川の活躍、期待してる」 「誰に言ってる」    今度こそ流川は行ってしまった。小さくなっていく背中を見つめる。前に進み続けるまばゆい流川楓がいるから、停滞している自分から目を背けたかった。挑戦しようとする者を彼は笑わない。打破しようとする者を彼は笑わない。奮闘する者を彼は笑わない。  そんな流川楓が好きだと海に向かって叫びたい。 2023.09