学校からの帰り、いつもとは少し違う道を通る。公団を抜けてすぐのところにある小さな駐車スペースに、その人はいた。
「おっそーい!」
私に気がつくと飛び跳ねるように立ち上がり、軽やかな足取りで近づいてくる彼は、いつもに増して上機嫌に見えた。
「お待たせ、兎耳山くん」
「オレのことこぉーんなに待たせるの、君しかいないよ」
「がんばって早歩きしたんだけどな」
「そこは走ってよ!」
「ぜ、善処します!」
「よろしい」
腕を組み、むふーっと満足げな表情の彼――兎耳山丁子は、いつも突然「今日会お!」と一方的に連絡を送ってきては、ここで待っている。何時にどこでという肝心な情報が欠けているものの、私も彼の待つ場所がわかっているので、了解すら送らずに向かう。というのも、ここは私たちが初めて出会った場所だからである。
◇
あの日は雨が降っていた。
斜めに叩きつけるような雨は折りたたみ傘では少し心もとなく、シャッターの下りている店の軒下で雨宿りをしていたのだ。ピークを過ぎて小雨になってきた頃を見計らって飛び出した。少し遠回りにはなるものの、道の舗装がされていて大きな水溜まりが少ないルートを選択し、通学路から外れていく。
途中で公団を抜けた先、小さなスペースに人影があった。誰かが立ち尽くしている。雨の中、ずっと傘をささずにいたのか、髪はぐっしょりと濡れて束になった毛先からは絶えず雫が滴り落ちている。髪の隙間から見えた横顔は、少年と青年の狭間のような男子だった。ぴたりと張り付いた衣服は、その体の薄さを訴えている。彼の様子はなぜか目を逸らすことができなかった。
「あの!」
大きく息を吸って声を出す。こちらに視線を動かした男子の、赤みの強い茶色の瞳が瞬いた。
「傘、どうぞ。折りたたみですけど」
どこかの有名なアニメーション映画の一場面みたいだと思いながら、自分の折りたたみ傘を差し出す。なかなか受け取らない彼に痺れを切らし、近寄ってその手に傘の柄を握らせた。
「待って、君、」
「あげます。私は家近いので走ります。それでは」
無地の紺色の折りたたみ傘。これくらいならいっかと、勢いよく駆け出した。後ろで彼がなにかを叫んでいたようだったが、ちょっとよく聞こえなかった。自分の体も冷えてきた気がする。見かけたことない人だし、もう会うことはないだろう。
――そう思っていたのだが。
「みーつけた!」
ふわふわの髪が反射する光が眩くて目を細める。太陽みたいな笑顔の人だった。
そういうわけで、突然傘を押し付けられた兎耳山丁子は困惑しながらも差したところ、どうやら小さな穴が空いていたらしく、漏れた雨水が柄をつたって肩周りをさらに濡らしていく。もしかしてゴミを押し付けられたのではと、一言物申すべく私を探していたらしい。
そこに関しては弁明させてほしい。自分も家に着いてから肩から背中にかけてが異様にびしょ濡れになっていて、あの傘もしかして……と思ったのだ。しかし誰なのかわからず、また会うことがあるのかもわからない。あのへんを通ったらまた会うことがあるかもしれないし、いつか会えたら謝ろうと心の中で土下座していたところ、予想以上に早く再会することができたのだ。
◇
この件以来、度々会っては話す仲になった。年が近いこともあり打ち解けるのははやかったように思う。彼の明るい雰囲気と楽しそうに話す仲間たちの話を聞くのが面白かった。私とは違う世界で生きている人の話を聞くことは興味深いものではある。けれど、チームがなんとかと言い出したあたりで深く突っ込むのをやめた。喧嘩がどうとかもよく言っている。そもそも彼の羽織っているスカジャンの模様が虎みたいでなんかいかつい。チームの名前も聞いたが強そうすぎてすぐ覚えた。獅子頭連。力がすべてのチームで、兎耳山丁子は“てっぺん”なのだという。
「君は?」
世界を見つめていた目が、私に向けられる。
「君の話も聞かせて?」
「兎耳山くんが面白いって思うような話ないけどなぁ」
「いいのー! オレの知らない日常の話聞きたい!」
「一昨日くらいのことなんだけどねー、」
こんなふうに穏やかな時間を、もっと一緒に過ごせたらと思う。私の知らない世界を知っている人。私が知っている世界を知らない人。お互いの日常をきっと、これからも鮮やかに彩っていく。
2025.02